三月十四日、ホワイトデー。
バレンタインに頑張ったかわええ女の子(一部例外で男子)がドキドキしてお礼を待つ日。
宍戸が「俺、貰ってねーからお返しとか考えなくていいんだぜ!!気楽でいいだろ!!」と自慢してきた。
人間、涙を流しながらドヤ顔って出来るんやな。

昼休み。さんと滝と一緒に、跡部の教室前におる。
――そういえばバレンタイン以来、授業が延びたことがない。
どれだけ話が途中でも、チャイムが鳴った瞬間、先生が血相を変えて教科書を畳むようになった。
…多分オッサンのお陰なんやろうけど。何したんやろ。
そのオッサ…監督は、今は逃げ出した他のメンバーを集めに行っとるらしい。

「なあさん、バレンタインにチョコくれた女子の件はどないなったん?」
「ああ…うん、さっき一応お返しは持って行ったよ。『来世で私が男に生まれたら一緒になろうね』って言って」
「何それイケメン」
「男に生まれたらもっと近くで樺地君と跡部が見られるかなって」
「あー…なるほどな…?」
「ちなみにあの子、協力員になってくれたから。よろしくね」
「抜け目ないな!!」
「生徒会の子が手伝ってくれると色々ありがたいね〜」


視線の先の跡部はずっと机に突っ伏していて、その傍には女子たちが長蛇の列を成している。
――バレンタイン以降、跡部は隙あらば机に突っ伏してはしくしくと滝のように涙を流している。(滝って言うても萩之介やないで☆)
その涙に恋愛成就のご利益があるとかなんとか、『跡部の滝』と名付けられて、毎日女子が集まってくるようになった。
当の跡部が失恋(?)して流しとる涙なんやから、むしろ逆の効果がありそうなもんやけど。阿呆やなあ。
…まあさんも『跡部が樺地君のために流してる涙よ!?永久保存ね!!』とか言いながらバケツに汲んどったけどな。

バレンタインの放課後、校内は一時騒然となった。
なんせ、跡部宛ての本命チョコが全て本人の手によって返却されたんやから。
泣き喚く奴も一部はおったけど、大半は『跡部様と直々に話せた!』という喜びが勝って、おとなしく引き下がった。
その間、跡部は時々樺ちゃんを振り返っては何か言いたげな顔をしとった。
…樺ちゃんにも本命チョコを返却してほしかったんやろうな、本当は。
樺ちゃんは全く気付いてないどころか、多分、『跡部さん、お返しが面倒になったのかな?』とか、そんなことを思っとったに違いない。
全く可哀相な奴やで、跡部…


「…樺地君、来ないねー」
「そうだねー」
「跡部の滝、いつもより量多ないか…?」

「みんなー!!たいへんだCー!!!」
ジローが手を振りながら走ってきた。ほんま、起きとる時は騒がしいやっちゃ。
「何?どうしたの?」
「樺ちゃんがまた女子にかこまれて身動きとれなくなってるCー!!!」
「やるねー!」
「おっ…ちょいジロー、そないでかい声で叫んだら跡部に聞こえ…っ」

慌てて跡部の方を振り返ると、教室ではちょっとした洪水が起こっていた。






「あかんて、跡部このまま泣き続けたら枯れ果ててまう!」
「な、なんとか樺地君を救出して連れて来ないと!!」
「どうした、お前たち」
「「監督!!」」
「会長!…と、みんな!!いいところに!!」
階段に向かって走って行くと、オッサ…監督と、捕まったらしき岳人や宍戸たちと鉢合わせた。
「これから、樺地君の救出に行くんです!」
「ひよしはあとべの様子見といてほC!!」
「は!?何で俺が、っていうか何がどうしたんですか!?」
「前みたいに飛び降りようとされたらかなわんからな!頼んだで日吉!」
「え!?」



樺ちゃんの教室の前へ向かうと、そこには跡部の滝の行列に負けずとも劣らない人数の女子がごった返していた。
「樺地君…本当にすっごい人気」
「ええ子やもんなあ樺地。ああいうタイプほど、一度気になってしもうたらなかなか冷めへんのかもしれんな…」
「跡部がいい例よね…」
「ああ…せやなあ」

「樺地!!」
「ウ、ウス」
鳳が呼びかけると、困り顔の樺ちゃんが手を振ってきた。
顔は見えているのに、えらい遠く感じる。
「跡部が大変なの!樺地君!!」
さんが高く手を上げて叫ぶと、樺ちゃんの目の色が変わった。
「そうだC!!このままだとあとべ死んじゃうC!!」

「あっ!」
「どうかしたのか?
「赤味噌!!低めのムーンサルト、遠くまで跳んで!!助走はなしで!!」
「は!?なんだよいきなり!」
「いいから!…樺地君!!ちゃんと見ててね!」
「ウス!」

岳人は首を傾げながら、ひょいと跳び上がって、かなり遠く――5m先あたりに着地した。
さすが、人間離れした跳躍力や。

「これでいいのか!?ー!」
「いける?樺地君!!」
「ウス!!」

その瞬間、樺ちゃんは自分の周りを囲んでいる女子達に、申し訳なさそうに頭を下げると、



跳んだ。



女子を跳び越え、遠く遠く。
教室のドアを通り抜け。
ズドン!!!と音がして、樺ちゃんは着地した。
………俺の上に。

眼鏡は割れた。

「やるねー」






「さすがのコピー能力やなあ樺地…」
「ウス///」
樺ちゃんを連れて、急いで跡部の教室へ引き返す。
追ってくる女子達は岳人とジローが引きとめてくれとるけど、そう長くはもたんやろうな…。

跡部の教室に着くと、そこには異様な光景が広がっていた。

『縛れ!』
『縛れ!』
『下剋上!』
『下剋上!』
拳を突き上げながら叫ぶ観衆。
その中央には、びしょ濡れになってぐったりしている跡部と、それを抱えて立ち尽くす日吉。

「…跡部…さん……日吉…?」
「!!やっと来たか、バケモン!!早くこの人どうにかしろ!」
日吉は腕を震わせながら、自分より体格の良い先輩を樺ちゃんに押しつけた。
観衆からはブーイングが起きたけど、ビデオカメラを構えたさんに睨みつけられて即座に黙った。
「ここは少々人が多すぎるな。樺地のファンが来る前に部室へ移動しよう」







「…俺が向かった時には、ちょっとした洪水状態で」
「おう」
「とりあえず、このままじゃ部長が溺れ死ぬと思って起こしたんです」
「うん」
「そうしたら、周りに居た奴らが『バレンタインの緊縛再びか!?』『やれ日吉!下剋上だ!』とか言い出して」
日吉がはぁ、と溜息をつく。本当に可哀相な子や。
「部長は部長で、『涙の海に船を浮かべたらあいつは見に来てくれるだろうか』とか呟いてるし」
「なにそれ萌える」
「黙ってもらえますか」

跡部は樺ちゃんに抱えられて、ソファで休んでいる。
その光景を撮影してまわるさんと滝。オッサンは上から羽を散らしている。
幻想的…?やな。絵になるわ。
樺ちゃんのズボンべっしゃべしゃやけどな。
「ズボンがべしゃべしゃな樺地君…!」
「や…やるねー跡部…!」
「いややー!!いややーー!!」

その傍らでにこにこ微笑んでいた鳳が、樺地に話し掛ける。
「樺地、ホワイトデーのお返しは作ってきたの?」
「ウス」
樺地の膝の上に乗った跡部の頭がぴくりと動いた。
「ほとんど本命だったんでしょ?すごいよね!」
「ウ…ウス」
樺ちゃんの頬がぽっと染まると、跡部の頭がありえない方向へ曲がる。

「…で?返事は?したのかよ」
跡部の頭を本来あるべき向きに戻しながら、宍戸がいきなり本題に切り込んだ。
跡部の足がびちびちと跳ねて、やがて静かになった。
「…ちゃんと…言おうと思ったら…たくさん…」
「ああ…囲まれてたもんね」
「樺地、急かされるの苦手だもんねー」
「ウス…。…あ、お礼のお菓子…教室に、置いたまま…」
「大丈夫よ、そこのいつまでもかすり傷が治らない帽子のお兄さんが取ってきてくれるわ」
「俺かよ!」
「ありがとう、ございます…」
「断り辛いな!!」
帽子のお兄さんは溜息をつくと、渋々部室を後にした。

「……それで、…あの…」
「どうした?」
「…跡部さんは…どうして、泣いて…」
「あ、ああ。気にしたらあかんで、ほっといてやり……、お」
ふいにポケットの中の携帯が鳴った。
「岳人からや……もしもし?」
『ゆーし!!もう無理だ!!』
「!?」
『ジローは寝ちまったし!!みんな、樺地に会わせろって…う、うわあああああああ!!!!!』
「がくとおおおおお!!??」
「ど、どうしたの!?」
「通話切れてもうたけど…大丈夫やろか…」
「…どうやら、大丈夫じゃないみたいだねー」
窓の外を覗いた滝が呟く。
「うわっ…樺地君の追っかけ達がこっち向かって来てる!!」





「私達、お返事がほしいだけなんです!」
「樺地先輩に会わせてください!」
「う、うーん…」
宍戸が戻ってくるのと入れ違いに、『とりあえずなんとかしなさいよ!』とさんに部室の前へほっぽり出されて、早五分。
ついに迫ってきた樺ちゃんファンに取り囲まれてしもうた。
これは新手のハーレムや…と自分に言い聞かせて耐えてきたけど、そろそろ限界やなあ…
そう溜息をついた瞬間、部室の扉が勢い良く開いた。
……俺をはね飛ばして。
眼鏡は割れた。

「みんなごめんね、一列に並んでくれる?」
「樺地、一気に話しかけられると混乱しちゃうから。よろしくねー」
さんと滝が樺地ファンを整列させていく。
…女子に紛れても違和感ないっておかしいやろ滝。
ちらりと部室の奥を覗くと、涙も枯れ果てたのかカッスカスになった跡部の姿が見えた。哀れや…




「ウス…」
整列が粗方終わった頃、樺ちゃんがのそりと姿を現した。
小さく悲鳴を上げる子や、目を丸くして頬を染める子もおる。
ほんまにモテモテや。
…跡部が気の毒になって、俺はそっと部室のドアを閉めた。

「…あの、皆さん…チョコ、ありがとうございました…」
樺ちゃんはゆっくり頭を下げると、お返しのお菓子が入った巾着型の袋の口を開いた。
「田中、さん…」
「はいっ!」
一番前に並んでいた女子が姿勢を正す。一年生っぽいけど、名前知っとるんやな樺ちゃん。
「…チョコ、中に…ジャムが、入ってて。美味しかった、です」
「よ、よかった…」
「これ…お礼、です」
「あ、ありがとうございます!…ええと、それで…あの、一応…本命、だったんですが」
「ウ……ウス。それは…あの……ごめん、なさい」
おお…なんや、こっちまで胸が痛くなってくるわ…
さんと滝がわざとらしい泣き真似をしている。俺もやっとこ。
「…でも、嬉しかった、です…」
「いえ、こちらこそ、お返事もらえて…良かったです。追いかけて来ちゃってごめんなさい!」
田中さんは軽くお辞儀をすると、校舎へと走って行ってしまった。

「…後藤、さん」
「はい」
二番目に並んどったのは、すらっとした女子。堂々とした感じやし、三年生やろか。
「生チョコ…柔らかくて、美味しかったです」
「ありがとう」

……まさか、と思ったけど。



そのまさかやった。
樺ちゃんは、追いかけてきたファン全員の名前と、くれたチョコの内容を覚えとった。
それぞれに感想とお礼を述べて、それから、丁寧なお断りを入れて。さんと滝が都度泣き真似をして。

「…すごいな、樺地」
「?」
最後の一人への返事が終わった樺ちゃんに話し掛けると、不思議そうに首を傾げられた。
これ無自覚にやっとるんか…罪な男やで…
「…っちゅーか、かなりな人数おったけど今何時や!?もうとっくに昼休み終わっ…」
慌てて時計を見ようとすると、さんがビシッと親指を立てていた。しっかり手回し済みか…そういえばチャイム鳴ってないわ…

部室へ戻ると、跡部は水分を取り戻してふんぞり返っていた。
「ファーッハッハ!随分かかったじゃねーの樺地!!」
「全員お断りしたと分かった途端にこれだよ」
「ウス…」
「モテる男は辛いだろう、なあ樺地?」
宍戸からギリリと歯ぎしりの音がした。

「あの、跡部さん…にも…」
「アーン?」
「よかったら…食べて、ください」
「ア、アーン?!」
「あれ、今年は跡部から樺地にはあげてないよな?……ん、今年は?」
「いつも、お世話になってる…ので」
「フ、フン!まあ貰っておいてやろうファーッハッハッハッハ!!!」
「大喜びやないか…」

「…ところでみんな」
さんが急に声を落とす。…やっぱり気付いたみたいやな。
「ああ…」
「跡部のだけ包装が違うねー…」
「明らかに他より大きいし」
「良かったなあ跡部…」
なんやろ、目頭熱くなってきたわ。

「そうだ樺地、俺様からも渡す物がある。バレンタインの礼だ」
「あ…ありがとう、ございます」
「また放課後に渡す」
「ウス!」
「よし、校舎に戻るぞ!樺地」

すっかりいつも通りの姿を取り戻した跡部は、樺ちゃんを連れて扉を開けた。


「…ところで樺地、結局、その…全員断ったんだよな?…良かったのかよ」
「ウー、ウス…。今は、まだ」
「な、ま、まままままままままだってことはお前それいずれは誰かと付き合うつもりかアーン!!??アーン!!???」
「…そういうの…よく、分からないです…」
「フ、フハハハハ子供だなあお前はフハハハハハハハハハ」
「跡部さんに、ついて行く…ほうが、大事」
「!!!!」

「大変!!跡部が鼻血出した!!!」
「跡部の滝再び!!!」
「干からびて死ぬぞ!!!早く水分!!!」
「いや病院連れて行きましょうよ!!!」






廊下に転がっていた岳人(樺地ファンに押されて転んで向う脛を打ったらしい)とジロー(睡眠中)を起こして、自分の教室に戻ると、クラスの全員が腕時計を見ながらざわざわと騒いでいる。
始まらない五時間目…
教室の時計を見上げると、予鈴が鳴る一分前で止まっていた。…多分、校舎内の全ての時計が止まっとるんやろう。さすがやな、オッサン…
















樺地ファンの女子の苗字は、氷帝応援団の方から取ってます。

2013.3.14