「バレンタインやね」
「そうね」
「そうだな」
「…………」
「何よ」
「いや」
廊下に座り込んで休み時間の跡部を観察中。
さんの隣で、忍足が虚ろな目をしている。
まあ、忍足の目はだいたいいつも虚ろだけど。
「ところでみんな、樺地君がお菓子作ってるところって見てみたくない?」
樺地のことに関しては地獄耳な跡部に聞こえないようにか、さんが少し声を落として尋ねる。
「あるC!!めちゃめちゃあるC!!」
「うぉっ!」
忍足の膝で寝ていたジローが飛び起きた瞬間、鈍い音が鳴り響いた。
顎に頭突きを食らい床に突っ伏す忍足は放置して、ジローは続ける。
「だって樺ちゃんが作って来てくれるお菓子、スッゲー美味しいC!!気になる!!」
「うるさい、跡部に聞こえるでしょうが」
「ギャッ」
大声を出すジローの頭をさんが掴んだ。
跡部(地獄耳)がチラリとこっちを見たが、声の主がジローであることを確認すると、すぐに視線を読み掛けの本に戻した。
「なるほど、今年は樺地が渡すんを見届けようっちゅー話やな。………ん?『今年は』?」
「そんなとこね」
「ふーん、跡樺だねー。『チョコの後はお前も頂くぜアーン?「やめてー!!!」
「違うわよ、チョコをあげたかわりに樺地君が跡部を頂「いややー!!いややー!!」
…最近、さんはあまり忍足の眼鏡を割らなくなった。面倒くさいのかな。
「まあ…あのバケモンがどうやってあんな細かい物を作ってるのかはちょっと気になりますけど…」
「やめろ若、関わるな!」
「宍戸さん、俺に関わって下さい!!」
「意味がわからねえ」
「準備をするならこの週末だと思うのよね。土曜は部活があるから、日曜かな。…ということで、皆よろしくね」
爽やかに親指を立てるさん。
岳人が慌てたように声を上げる。
「は?!俺日吉と映画観に行く約束してんだけど!」
「えっ、そうなん?俺そんな話聞いてへんよ?」
「おう、誘ってねーからな」
「ひどっ!映画といえば侑士くんやろ?!」
「映画に携わる全ての人間に謝れよ」
岳人と趣味違いそうなのにねーと隣の日吉に話し掛けたら、「…前に学園七不思議もののドラマに出てた女優が出てるって聞いたので」と返事があった。
学園七不思議ものってどんなジャンルだよ。
日吉でも女優さんに興味あるんだ、やっぱり中学生だねーと呟くと、「いえ、あの人の撮影現場では怪現象が続くと噂があるので。何か映ってないかと」と、非常に日吉らしい、電波な答えが返ってきた。
折角からかってやろうと思ったのに、つまらないなーと思っていると、忍足の「くそ…岳人、携帯貸しや!日吉のアドレス消してやる!!」という声と、レンズが割れる高い音が聞こえた。
早く捕まらないかなこいつ。
――そして日曜日。
「おはよう壁男!」
「おはよう」
待ち合わせは樺地の家の近くの公園。
さんがいい笑顔で手を振っている。早めに来たつもりだったのに、さんはもっと早くから居たのか、やるねー。
……というか、
「さん…もしかして泊まり?」
「あ、ばれちゃった?」
「寝袋が転がってれば分かるよ…」
この寒いのに野宿って、すごい根性だ。
「一応、昨日の部活後から見張ってたの」
「うん、何から言えばいいのか分からないけど、とりあえず女子が一人で野宿は良くないと思うよ。…妙な輩が現れても、さんなら返り討ちにしちゃうのかもしれないけどねー」
…そもそも、野宿してる不審な女子に近づく人間がいるかどうか分からないけど。
そんなことを話していると、向こうから宍戸と鳳……と忍足が歩いてきた。忍足の肩越しに、ジローらしき黄色い頭が見える。
「おはようございます!!ねえ宍戸さん!!」
「おう」
「おはよーさん、宍戸とジロー捕まえてきたで。鳳も釣れたわ」
「…ああ、眼鏡か。誰かと思った」
「モサすぎて現地の人かと思ったよ」
「どこの現地や!失礼な」
「そうよ壁男、それは現地の人に失礼よ。謝らなきゃ」
「そうだね、俺としたことが」
「あれっ今俺貶されてる?」
「で、結局岳人と日吉はどうなった?」
「あー、オッサ…監督が連れてきてくれるんやて。………まじ日吉あいつキノコあいつくそが」
「そう。役に立つのかしらあのオッサ…会長は…。あ、それはそうと眼鏡、お腹すいたから何か買ってきてよ」
「え?!朝からパシり?!」
コンビニに走らされた忍足が戻ってきた頃、監督に首根っこを掴まれた岳人と日吉の姿が見えた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「…おー」
何やら死闘が繰り広げられたのか、三人ともぐったりしている。
さんが菓子パンをかじりながら、鞄に手を突っ込む。
その中から出てきたのは小さな袋だった。
「!!!それチョコ?!」
ベンチで眠っていたはずのジローが飛び起き、忍足の肘に頭突きをした。ピンポイントで神経を突いたらしく、忍足が「ギャー!おばちゃん、ビリビリ、ビリビリきたああ!!」とか叫んでいる。
「うん。あげる。ちょっと早いけど」
「マジマジありがとー!…って何か、溶けてねえ?」
「気のせいよ。はい、皆取ってって」
「いや、溶けてるっつーか…これとかサラッサラじゃね?」
「溶けチョコか、懐かし……ん?『懐かしい』??」
…宍戸、何言ってるんだろう。ボケたのかな。
お礼を言ってさんから袋を受け取ると、中にはやたらゆるいチョコレートがつめられていた。ビニタイで留めてあるだけだから、うっかりすると溢しそうだ。
「はい眼鏡、さっさと取ってよね」
「えっ、さん…?俺に……俺に、チョコくれるん…?」
「?何が?」
「いや、あの、ほんまに俺がもろてもええの?あれ??何でや、何でやろ、あれっめっちゃ目頭熱くなってきた何これ」
忍足もボケたみたいだ。若年性痴呆って怖いね。
「うわああああ…謎の…謎の感動や…!!なんやろ…!」
「うるさいわね、さっさと取りなさいよ」
「んあっ」
ベシッ、と。
忍足に叩きつけられたチョコレートは音を立てて地面に落ちた。
そして、サラサラと…まるで小川のように袋から流れ出し、地面へと染み込んでいった。忍足の悲鳴キモっ。
「ああああああ!!!やっと…やっともらえたと思ったのに…!!!…ん?『やっと』?」
「そこの土でも舐めてなさいよ」
「えええええなんかさんキャラ変わってきてへんか?!気のせい?!」
…「甲子園の土ってこんな感じやろか…」と呟きながら土を袋につめる忍足の後ろ姿は、哀れを通り越していっそ芸術的なほどの悲しさを秘めていた。早く捕まらないかな。
それから約一時間後。
樺地家のドアが開き、そこから見慣れた巨体が覗いた。
「きた!」
「樺地だ」
「メモ?みたいなの持ってるねー」
どこに行くんだろう、迷わず歩き出した樺地の後ろを慌ててついて行く。
ぞろぞろと。
多分、すごく怪しい。
辿り着いた先は……お洒落なカフェだった。
「??」
「てっきり、スーパーにでも行くかと思っていたんだがな…」
オッサ…監督が呟くと、宍戸がうんと頷いた。
宍戸が頷いたので、鳳も頷いた。
「待ち合わせかな」
「デートじゃね?」
「そうだ、キレーなおねーさんとデートだよ」
「バケモンのくせに…」
「仮にそうやったら、そのおねーさん氷柱が刺さって死んでまうで」
口々に適当なことを言いながら、後を追って店内に入る。
確かに、大きな樺地が一人でちょこんと小さな椅子に座っているのはちょっと変な感じだ。
時間がまだ早いせいか、店の中にはあまり人が居ない。俺達は少し離れた柱の陰の席に座った。
「かんとく、ケーキ食べたE!」
「えっ」
「あ、会長、奢ってくれるんですか?」
「えっ」
「ありがとうございます」
「えっ」
折角なので、一番高いセットを注文した。
監督はちょっと泣いてた。
「…樺地君、ケーキセットだ」
「ほんまや」
かわいいケーキとカップが運ばれ、樺地はいただきます、と手を合わせて食べ始めた。
このミスマッチな感じ、いいねー。跡部に見せてやりたい。
「待ち合わせなら、先に食べたりしないよな?」
「いや、樺地だぜ?一回食べといて、後でもう1セット食べるのかも」
俺達も、届いたセットに手をつける。
めちゃくちゃ美味しい。
監督は泣いてた。
ごちそうさまでした、と、食べる前と同じように手を合わせた樺地は、さっと立ち上がり、店の出口へと向かった。
「え、帰ってまうん?」
「ただの腹ごしらえじゃねーの?」
「でも朝からケーキだぜ?」
「そんな気分の時もあるだろ」
樺地が会計を済ませている間に、残りのケーキを口に押し込む。
美味しい。
監督は泣いてた。
続いて樺地が向かった先は、……ケーキ屋さんだった。
「何だ?」
「甘いものに飢えてんのかな」
「…『甘いものならいつだってお前にくれてやるぜ?アーン?「いややー!!…ああいや、飴とかやろ飴とかやろそんなん飴とかやろそうやろ?」
「ああ、苦いの「いややー!!いややー!!」
「違うよ、『俺様も甘いものに飢えてるんだが、食っても構わねえよな?アーン?「いややー!!!飴とかクッキーとかやろ!!」
「飴プレイは温度的にきついと思うよ?」
「そんな話してへん!!」
「クッキープレイkwsk」
「違う!!!」
小さなその店は、ガラスの自動ドアが入り口についているのみで、外から中の様子が伺えた。
樺地は背を丸め、ショーウィンドーに並ぶケーキ、その他スイーツをじっと見つめている。
「店員もちょっと戸惑ってますね」
「まあいきなり190cmが入ってきて、ショーウィンドーの前で動かなくなったら普通びびるよな」
「あ、決まったみたいですよ宍戸さん!」
「俺に振るな」
樺地はケーキを六つ選び、箱を提げて店から出てきた。
「……樺地の家って、お祖母さん入れて五人だったよな?」
「…って言ってたと思いますけど」
「じゃーあとの一つは?」
「………」
「………」
「………………跡部?」
「………」
暫しの沈黙の後。
いやいやいやいや、と全員同時に口にする。
「樺地に限って、跡部に店で買った食い物はやらねーだろ!」
「バレンタインやし特になあ」
「だよねー。それにもし跡部にあげるなら、もうちょっと高い店で買うんじゃないかな」
「じゃああれは…?」
「ハッ…!!まさかバレンタインに向けたクリームプレイ用の「いややー!!いややー!!」
「ならクリーム買って来たほうが早いじゃないですか「いややー!!ちゅーか真顔で何言うとんねん日吉!!!」
がやがや騒ぎながら(小声で)樺地の後をついて行くと、また店らしきものが見えてきた。
「今度は何の店?」
さんが目を細めると、眼鏡(裸眼視力2.0)が首を捻った。
「……また…ケーキ屋っぽく見えるんやけど」
「えっ」
「頭と性格だけじゃなくて目まで悪くなったんですか忍足先輩?ねえ宍戸さん!!」
「そうだな」
「あとセンスも悪いC」
「あれっなんで俺ここまで貶されてるん?」
ついでに姿勢も悪いよな、身体的にも精神的にも。と思いながら歩いて行くと、確かにそれはケーキ屋だった。
「どれだけ腹減ってるんですか、あのバケモン…」
先程の店よりは大分大きいようなので、こっそりと店内に侵入する。
「うおー、色々あるな!」
「砂糖とかも置いてるのね」
「結構値段すんじゃねーか…こういうのの相場って分かんねーけど」
「確かに、そこそこするねー」
「あっ!」
値札に書かれたケーキのタイトルを読みながら樺地の様子を伺っていると、ふいに隣のジローが声を上げた。
「何?」
「あのケーキ、白いやつ!」
ジローが指差した先を見て、……皆の動きが止まった。
「…あ」
「あれって」
「この間、樺地が部室に持って来たケーキじゃねーか」
「飾りのチョコもいっしょ!俺食ったから間違いないC!!」
「手作りって言ってた…よな?」
「いや、はっきりそう言ってたかっていうと…ちょっとあやふやかも」
「…これ、もし、跡部含めた皆が完全に勘違いしてるだけで……」
「…樺地、ほんまは料理さっぱり出来ん子やったりしたら…」
「……相当可哀想だC」
「俺らの期待を裏切るまいと…!」
「やるねー樺地…!」
「かばじー!」
「樺地…!」
「樺ちゃん!!」
感極まって樺地のもとへ駆け出すメンバー達。
いきなり現れたメンバーに驚き、ちょっとビクッとなる樺地(貴重)。
さんの慌てた声が聞こえるけれど、これまでの樺地の気持ちを考えると飛び出さずにはいられなかった。
「……で」
その二時間後。
俺達は樺地家のこたつに居た。
その上には、それぞれ小さく切り分けられたケーキが十一個と、ケーキの材料たち。
「じゃあ、樺地は自分で作る時に参考にする為に、色々食べていたと」
「ウス」
「…でも樺ちゃん、俺、この間のケーキ見ちゃったC」
「そうだぜ樺地、嘘はつかなくていいからな」
「…ウス。あれは…勉強…の為に、全く同じケーキを…作って、みました」
「そうなのか!?」
「あのごっつい飾りのチョコも?」
「ウス。作りました」
「やっぱりスゲー!!!」
かなり繊細な、凝ったデザインだったのに、樺地はさらりと事も無げに言ってみせる。やるねー。
「樺地君、ケーキ作ってるところが見てみたいんだけどいいかな?」
「ウス」
「マジマジ!?」
「興味あるわー」
「その…前に、ケーキ…。買ってきた分、どうぞ」
味見した残りをくれるらしい、そのために切り分けてくれたのか。
「マジマジありがとう!」
「なんか悪いな。いただきます」
「頂こう」
ジローをはじめ、何人かがケーキを口にして、…そして呟いた。
「…あれ?」
「…うん」
「どうかした?」
「いや、うめーんだけどさ」
「んー…」
「正直、樺ちゃんが作ったやつのほうがおいC…」
「だよな」
「マジか!」
「プロを越えたよ樺地、やったね!」
ばんばんと鳳に背中を叩かれる樺地。その顔はちょっと照れて見えた。
さっきの驚いた顔といい、無限に夢が広がるねー。
その後見学した樺地のケーキづくりは、次元が違った。
宍戸曰く、「すごすぎて何やってんだかさっぱり分かんなかった」
鳳曰く、「手早すぎて腕が六本に見えました!ねえ宍戸さん!」
忍足曰く、「エプロンしてケーキ作る樺地萌え」
……今回ばかりは眼鏡(もさい)の意見に完全同意せざるを得ない。
さんもずっと写真を撮っていた。
――そして、バレンタイン当日、放課後。
跡部邸の前にて。
「ファーッハッハッハッハッハ!!!」
住宅街に響き渡る笑い声。近所迷惑だ。通行人が何人か逃げていった。
「美味そうじゃねーの」
「ウス。…お口に合うと、いい、ですが」
「…フン、じゃあ俺様が食べるところまで見届けてくれるんだろうな?」
「…ウス」
「とびきりの紅茶があるぜ」
「…『とびきりの跡部さんも頂きます「いややー!!」
「違うよ、『ケーキだけじゃなくて俺も///「いややー!!いややー!!」
跡部は満足げに微笑むと、樺地を引き連れて邸へと入っていった。
…あの笑顔は、樺地のあんな苦労によって守られてるんだねー。
試行錯誤して作ったケーキ、今回だって美味しくないはずがない。
「ところで宍戸、今年はいくつ貰ったの?」
「うわあ!またか!!……ん?『また』?」
「いくつ貰ったんですか宍戸さん!!」
「言ってよし!!」
「何でこんなに追い込まれてるんだ俺!……三個だよ!」
「なるほど、お母さんとさん、……あと、この間樺地に味見させてもらったチョコ細工もカウントしたね?」
「!!?」
宍戸はエロ本に釣られて来ました。
後日、忍足から手描きの萌え絵を渡されてキレる。
2012.2.14