「あっちーまじやってらんねー」
「ねー」
「つーかなんで俺なんだよ…滝とか忍足……はねえか、監督とか呼べばいいじゃねえか」
「だってみんな夏休みだからってフランスだのドイツだの行っちゃってて…これだから金持ち学校は嫌よね」
「…俺も一応その学校通ってんだけどな。忍足もゲンコーやってるとか言ってたぜ」
「樺地君と跡部が日本に留まってくれてよかったわ」
「(忍足はスルーか)あいつらこそ海外に飛びそうなもんだけどな」
「さすがに海外は私の懐が痛いから…ミカエルさんが上手いことやってくれたわ」
「お前が手回したのかよ!!!」




――夏休みのある日。
…遡ること、数時間前。
携帯に一通のメールが届いた。
どうせ長太郎からのリッチな家族旅行自慢だろう、と思ったんだが、それは知らないアドレスから届いたものだった。

『宍戸くん、おはよう。
急で申し訳ないんだけど、もし良かったら、一緒に海に行きませんか?
跡部くんのお家の前の植え込みの陰で待ってます。』

…今考えると何もかもがおかしいんだ。
跡部ん家はでけーから確かに待ち合わせには向いてるかもなとか、どうして思っちまったのか、今となっては全く分からない。
しかし、そう、俺は男子中学生なんだ。悲しいことに。
…悲しいことに。
つーか普段「すすろ」とか呼ぶくせに、何でメールではちゃんと「宍戸」って打ってくるんだ。

植え込みの陰に隠れていたは、そわそわとやって来た俺の姿を見つけると悲しい顔をして、「美人に絵を売りつけられないように気を付けなさいね…」と言ったのだった。
意味はよく分からないが。







はあ、と溜め息をつく。
隣のが、コンビニの袋からアイスを取り出した。

「ほら、アイス半分あげるから。さっき買ったばっかだしまだ溶けてないよ」
「まじか」
棒が二本刺さった、真ん中で割れるタイプのアイスだ。まだあるんだな。

パキッと音がして、アイスが割れた。

「……」
「……」

「はい」
「いやいやいやいや!明らかに半分じゃねーだろ!!そして迷いなく小さい方を渡すなよ!!」
「混沌に足掻く愚者よ抗うな、聖なる定めを受け入れよ…」
「激意味わかんねー!!」
「こう割れちゃったんだから諦めなさいってことよ」
ショリ、とがアイス(3分の2)をかじった瞬間、遠くに大きな影が見えた。樺地だ。

「何か持ってんな。プールバッグ?」
「今日は二人で海に行くらしいの」
「ああ…」
メールは一応、嘘ではなかったんだな…と思いながらアイス(3分の1)をかじる。
まだ午前中だというのに、太陽はじりじり背中を焼いてくる。

樺地がチャイムを鳴らすと、大きな門扉が開いた。
その向こうに立っていた跡部は、やたらキメッキメなポーズだった。
…キマっているのかよく分からねーけど。

「なんだあれ。身体横向いてんのに全力でカメラ目線だな」
「『乗れよ』…いや、さりげない尻アピール…?どちらにせよさすが跡部ね…!」
「違うと思うぜ」





跡部が普段あまり通らない道だからか、樺地は案内しながら跡部の隣を歩いている。
こうして見ると、樺地はやっぱりでけーんだなと思わされる。跡部も十分でかいはずなのに。
二人は駅に向かっているみたいだ。

「このへんで海っつったら、五つ先の駅くらいか?」
「多分ね。ほら、二人が切符買うから行き先よく見て!」
「なんでそこはちゃんとリサーチしてねーんだよ!」
「これぞ闇に紛れし追走の甘美なる享楽なり…」
「まじ意味わかんねー!!」




着いた先はやっぱり、五つ先の駅の近くにある海水浴場だった。
夏休みなだけあって、結構混んでいる。
電車もそこそこ人が居て、樺地が乗ってきた婆さんに席を譲っていた。
跡部も席を立とうとしたんだが、他に立ったままの人はいないから、と樺地に促されて座り直していた。
跡部と婆さんのツーショットはなかなか笑えた。
うとうとした婆さんの頭が肩に乗った時の跡部の微妙な表情は、多分あと二週間くらいは忘れられないだろう。思わず写メっちまった。
あとで長太郎に送ってやろう。



岩場の陰に隠れて、二人が更衣室に消えていく姿を見送る。
…さすがにそこまでは覗かねーよな?と思いながら振り返ると、はどこかに電話を掛けていた。
「…よし」
パタンと携帯が閉じられる。
「誰に電話してたんだ?」
「ちょっとね。オッサ…会長からの依頼で、二人の様子を生中継してもらうことになってて」
「熱心だなあのオッサンも…」
「これから会員と協力員全員の携帯に、二人の映像が自動で中継されます
「は?ネットで監督に送るとかじゃなくてか!?…ってウワアアアアアマジだ!!!ボタンきかねーし!!!なんだよこれ!!
「最近の技術はすごいね」
「そんなレベルの話じゃねーだろ!!こええ!!つーか二人がここに来ることやっぱり知ってたんじゃねーか!!」
「ううん。この近隣の海水浴場全部でスタンバイしてもらってたの
「それもそれですげーこええ!!!!!どんだけの人間がグルなんだよ!!」

携帯の画面の中と、目の前の更衣室の扉が同時に開いた。
と同時に、携帯の画面が別カメラの映像に切り替わる。
こえぇ。



「…おぉ」
隣で双眼鏡を覗いていたが小さく声を漏らした。
「どうした?…、おお」
の目線の先には、しっかり鍛え上げた身体の跡部。俺様のビキニ。
周りの女の人たちから黄色い声が上がっている。

…そして。

「樺地…改めて見るとすっげえな…」
「うん…すごいんだろうなーとは思ってたけど、やっぱり破壊力が…」

跡部に向けられた黄色い声に混じって、「おぉ…」という溜め息が聞こえる。大半が男だ。
鋼の肉体、男なら一度は憧れるよな。

「うわ跡部見てる見てるめっちゃ見てる」
「うわあああ頬染めんな!!写真撮んな!!」
「あっ跡部鼻血出てない?」

樺地は腰にビニールの小さなポーチみたいなのをつけてる。
「さすが樺地君、準備万端ね」
「…お前が言うなよ」
なんでそんな厚着なんだよ。暑くねえのかよ。多分中に何か仕込んでるんだろうけど。





早速海に向かって歩いて行く跡部を、樺地が引き留める。
跡部はちょっと口を曲げたけど、すぐに小さく頷いて準備運動を始めた。
目立つ二人が浜辺で屈伸したり、ぴょんぴょん跳んだりしている姿は何かシュールだ。
は動画を撮っているらしい。

「…なあ
「何?」
「泳いできてもいいか?暑い」
「何言ってんの、遊びに来てんじゃないのよ!!?」
「えええええ」
「真面目に見なさい!!」
「…じゃあせめてかき氷…」
「是非私の分も買ってきて!!よろしく!!」
「えええっ」






小銭を渡されて、かき氷を二つ買って戻ってくると、は望遠鏡?を覗いていた。
「またえらいもん持ち込んでんな…」
「うう…二人ともあっという間に沖まで行っちゃったのよ」
「…え、今の間にあんな遠くまで行ったのか!?すげえなあいつら!!」
まだギリギリ見えてるけど、もう少し先に行ったら多分見えなくなる。それくらい遠い。
…これ、あいつらがどんどん遠くに行っちまったらはどうするんだ…?
と思ったが、二人は物凄いスピードでこっちに戻ってきた。競泳選手もびっくりじゃねーか。

一泳ぎして満足したのか、二人は屋台をふらふらし始めた。まあ、そろそろ昼だしな。
一周まわって(その間跡部が三回くらい逆ナンされて、樺地が一回男に声を掛けられて跡部がキレて)、二人はとうもろこしを買うことにしたらしい。
「…『更衣室にカード置いてきた』って言ってるわね、跡部」
「使えねーだろカードなんか、つーか激無用心だな!!」

樺地がそっとポーチの中から小銭を出して、屋台の人に差し出した。
樺地がお釣りを受け取っている間、跡部が両手に握ったとうもろこしをじっと見つめている。何だこのギャグ。
支払いが終わった樺地にとうもろこしを一つ手渡すと、跡部はとうもろこしと樺地を交互に見始めた。
…食べ方が分からねーんだな。

樺地が豪快にとうもろこしにかぶりつくと、跡部も真似てかじりついた。
けれどその瞬間、跡部は渋い顔をする。

「…歯に挟まったみたいね」
「ああ…ってポーチから楊枝出てきた!!樺地すげー!!
「これまで想定済みなのか…さすが樺地君」
跡部は一口かじっては楊枝でつつき、一口かじっては楊枝でつつき、を繰り返してる。激まどろっこしい。
でも食べるのをやめないあたり、味は気に入ったみたいだ。
そうこうしてるうちに先に食べ終わった樺地は、跡部に何か話し掛けるとまた屋台の方へ向かった。

跡部がようやくとうもろこしを食べ終わる頃、樺地はジュースと、あと食べ物をいくつか買って戻ってきた。
しっかり昼飯を済ませる気らしい。

「…俺も腹減ったな」
「私の分もよろしくお願いします」
「またかよ!!」







昼飯が済んだ二人は、また海の中へ入っていった。
遠泳はさっきので満足したのか、近いところでぷかぷか漂っている。

「お、樺地が潜った」
「跡部見てる見てるめっちゃ背中見てる!!」
ザッと顔を上げた樺地の手には、…魚が握られていた。
「あ、跡部も潜った」

「……」
「……」
「……」
「……」
「出てこないね」
「大丈夫か」

樺地も心配そうに跡部を見下ろした瞬間、

「…なァッ!!!」
ザバァッ!!!



…多分、『俺様の美技に酔いな』の『な』だと思う。
かなり距離があるのによく聞こえた。ビーチの視線独り占めだ。

跡部の手にはさっきの樺地のよりでかい魚が握られていた。
樺地が拍手をする。
つられて周りの人達も拍手をする。
はシャッターをきる。
…帰りたい。
せめて泳ぎたい。




魚をリリースした二人は、時々潜っては海藻を掴んだりして遊んでいる。

「跡部ってお金持ちでしょう」
「は?今更何だよ」
「しかも一人っ子だから、かなり大切にされてるみたいで」
「まあそうだろうな」
「だから本来、お付きの人なしで海はNGらしいのよ。色々危ないからって。
…それが樺地君と一緒ならOKが出るってのが凄いよねー」
「マジか」
樺地信頼されすぎだろ、ただの中2男子に大財閥の跡継ぎ任せて大丈夫なのかよ…

と思いながら何気なく辺りを見回すと、

…忍足と目が合った。

道路をチャリで爆走する忍足は、俺に気付くとぽかんと口を開け―― そのまま、電柱に激突した。







「なんで!!?なんで俺には教えてくれへんかったん!!??」
ひどいわーと泣き崩れる忍足(傷だらけ)。総スルーの
「中継に気付いて場所特定して行こうとしたら財布に全然金なくて…チャリで……。なんで教えてくれへんのや…」
「だって原稿中だっていうから」
「萌え燃料は必要やんか…!!」
「よくチャリで来たなこの暑いのに…」
「あ、暑いんだったら泳ぐ?眼鏡」
「え、水着ないで」
「は?さっき俺には駄目だっつったじゃねーか!」
「とりあえず跡部の足でも引っ張って海に引きずり込んで来てもらおうかな」
「ついさっき跡部が大財閥の一人息子だって話したばっかだよな!??」
「すすろだとうっかり捕まりかねないけど、眼鏡だったら『海の怨霊』とかで済ませられそうじゃない?」
「なんか色々ひどい!!」



更衣室に送り込まれた忍足は、着替えるとこっそり二人の近くまで泳いで行った。さようなら俺の水着。
今、樺地は跡部を後ろから抱きかかえて、浮き輪みたいになっている。二人の周りがちょっと赤いのは、多分跡部の鼻血だ。ビーチの視線二人占めだ。
が物凄い勢いで撮影をしている。
……多分忍足もこういうのが見たくて来たんだろうに、今は海の中だ。つくづく可哀想な奴だぜ…

「お、忍足着いたんじゃね?」
「みたいね。二人とも全然気付いてない…」
忍足は少し離れたところで大きく息を吸い込むと、潜水して二人の傍に近付いていく。


「……」
「……」

「…ん?」
「跡部も樺地君も、変化ないわね」
「…だな。あ、向こうに忍足出てきた」
「何か慌ててない?」
忍足はばちゃばちゃと手を動かして、こっちに何かを伝えようとしているみたいだ。

「手に何か持ってるのか?」
「あ…」
望遠鏡を覗いたが、小さく呟いた。

「…跡部のビキニ……」

「はあ!?」
「うっかり脱がせたのね…」
「うっかりってレベルかそれ!?」
跡部気付けよ!!
樺地も気付けよ!!


「わ、二人とも浜に上がろうとしてるんじゃない?」
「あっ、跡部が気付い………うわああああああ!!!!
思わずの目を覆う。

気付いたのに、跡部は、
そう、忘れていたが、こいつは跡部景吾だった、

跡部は自分が全裸であることに気付いても、躊躇せず――むしろ胸を張って浜辺に向かってきた。

「ちょっと離してよ!!すすろ!!」
「さすがにそういうわけにはいかねーだろ!!!」

周りがざわついていることに気付いたのか、樺地が跡部を振り返る。
樺地は驚いた後、おろおろしながら、とりあえず跡部をしゃがませて下半身を海に隠した。

二人で何か相談すると、跡部はまた立ち上がり、今度は樺地の後ろにぴったりくっついた。
「パ…パイルミラージュ!!?」
「ぎゃー!!指の隙間から見るな!!!あとパイルミラージュはそんなんじゃねぇよ!!!」

とりあえず二・三歩進んではみたものの、尻は丸出しだから何の解決にもなってない。
樺地はもう一度跡部をしゃがませると、慌てて更衣室に駆け込んだ。



一人、海に漂う跡部(全裸)。
周りの人間が相変わらずざわざわしてるが、最初の黄色い悲鳴とは明らかに違う…。

更衣室から飛び出してきた樺地は、手にラップタオルを持っていた。
小さい頃に使ってたんだろうな。やたら可愛い柄だ。

ひとまず跡部は腰にタオルを巻き、二人は更衣室へと消えていった。
…タオルが小さいから、ぱっつんぱっつんでサイドが派手に開いてたけど、まあ、ボタンが弾け飛んだりしなかっただけよかった。

「まだ明るいけど…そろそろ夕方と言えば夕方ね。もう帰るのかな」
「まあ、水着も無いしな」
二人が更衣室で着替えている間に、頭を抱えた忍足が戻ってきた。
「お帰り、海の怨霊」
「誰がや!…あーもうこの海パンどないしよ…なんでビキニやねん…」
「売れば儲かるんじゃね」
「すぐ足つくやないか…それこそ捕まるやろ」
「…ところでお前、チャリで帰るのか?」
「うわ、帰りのこと忘れとったわ」







少し早めの時間だったからか、帰りの電車はわりと空いていた。
樺地も跡部もちょっとうとうとしている。

「すまんな宍戸、今度電車賃ちゃんと返すで」
「おー、忘れんなよ。てかチャリ置いてきていいのか?」
「今度回収するわ、今はそれより大切なもんがあるやろ!特に原稿中やし!!今!!!」
「眼鏡うるさい」
「あ、はい」


ガタン、と車両が揺れた瞬間、跡部の頭が樺地の肩に当たって二人がはっと顔を上げる。
一瞬目が合うと、二人はちょっと笑って、座り直した。

夕焼けに染まる車内で、忍足の奇声と、眼鏡が割れる音が響いた。

















宍戸は後日、忍足のチャリ回収に付き合わされます。

2012.8.26