三月十四日、ホワイトデー。
バレンタインにやらかした女子達(一部例外でバケモン)が過剰な期待を持って三倍返しを待つ日。
…忍足先輩や宍戸先輩がデジャブだと呟いているが、俺は知らない。
魔のバレンタインデーから一ヶ月。
本館の屋上に突如出現した教会は、すっかり生徒達の観光名所になってしまった。
…のだが。
ここ数日、跡部生徒会長から直々に立ち入り禁止の命が下り、それに伴い忍足先輩と滝先輩、先輩あたりの姿があまり見られなくなっていた。
休み時間のストーカー行為を行っている様子もなかったし、しつこく誘われることもなかった。
(ただし宍戸先輩が常に部長を見張っていたようだから、緊急時には連絡が行くようになっていたのだろうが。)
……悪い予感がする。とても。
久し振りに召集を掛けられた俺達は、定位置になりつつある部長のクラスの前の廊下に腰を下ろした。
「お、久し振りに廊下の会か!最近見なかったけどどうしたー?」とか聞いてくるんじゃねえよ、ちくしょう通行人め。
「皆さん、ホワイトデーですね」
「「そーですね」」
先輩の問い掛けに、忍足先輩と向日先輩の声が重なる。
つくづく気が合うのか合わないのか、よく分からない人達だ。
「本日はバレンタインデーを上回る豪華さで応援して行きたいと思います」
「そのために準備もしてきたことだしね」
滝先輩がそう言うと、監督もうむと頷く。
…やっぱり、何か準備していたのか…
嫌な予感は確信へと変わってしまった。
「じゃあ皆、昼休みの十五分前にここに集合ね!」
「あーそうかよ……ってちょっと待て十五分前って要は授業中じゃねーか!!!」
「安心しろ、宍戸。私が話は通してある」
「は…はあ…そうっすか…」
これでいいのか、仮にも名門私立校だというのに。
と言うかそれ以前に、人としてどうなんだ。
大きな溜め息は、隣のデカブツの「これでいつもより十五分早く会えますね!宍戸さん!!」という声に掻き消された。
そして、昼休み十五分前。
言いなりになるのは癪だが、頭を掴まれるのも嫌なので大人しく指示通り廊下に向かうと、先輩が立っていた。
「あら、早いわねぴよす。偉い偉い」
「日吉です。……あんたひょっとして、随分前からここに居たりしました?」
「うん、二十五分前から。よく分かったわね」
「これだけ間食の残骸が散らかってれば分かりますよ!!」
「失礼な、間食じゃなくて昼食よ」
「…しかし、授業十分しか受けてないんですか、あんた…」
痛む頭を抱えていると、忍足先輩に連れられてバケモンがやって来た。
「遅い」
「ひどっ!!」
「あとこのゴミ捨てといて」
「ええっ!!?」
「…どうしたんですか、その頭。妖怪並みにぼさぼさですけど」
「いや…樺ちゃん迎えに行ったらな、二年の女子にお返し寄越せって集られて…必死で逃げて来てん」
「そうですか」
「あいつら、この混乱に乗じて俺から毟り取ろう思とるだけやって!!絶対あんな数貰うてへんもん!!!」
「へえ」
「いやーけど、押し寄せる女子の波に抗いながら必死に樺ちゃんの手を掴んで走り出す俺、
ちょっと格好良かったんちゃうの?何やこう、姫助ける王子さん的な……ん?」
ドドドドドドドドドドドド
「誰が・誰の・王子だって…?」
「!!! あ、跡部……!!!」
「俺が王様だーーーーーーー!!!!!」
「キャアアアアアア!!!」
…跡部部長は前後の文章を繋げるのが下手だと思う。
部長の渾身の一撃を喰らい、忍足先輩は気持ちの悪い声を上げて吹き飛んだ。
床に落ちた屍を、いつの間にか集まって来ていた向日先輩と宍戸先輩が携帯のカメラで撮影している。
先輩も「嫉妬に狂う跡部…!」とか呟きながら、一部始終をビデオ撮影していた。
「チッ、…準備はいいか、野郎ども!」
「あとべ、漫画ちがうCィ……」
「皆揃った?」
「あと監督だけ居ないねー」
「そう…まあ、会長なら後で来るでしょう。とりあえず準備に掛かるわよ!」
「「おー」」
「……?」
意気揚々とどこかへ移動し始めた一行だったが、肝心のバケモンは首を傾げている。
「…大変だな、お前も」
「ウ?」
「おい日吉!樺地と何喋ってやがる!!」
「ああ、す み ま せ ん で し た」
「てめェ…」
部長の額に青筋が立ったのが分かったが、丁度そこで皆の歩みが止まった。目的地に着いたらしい。
「…おいちょっと待て」
「何だよこれ…!」
俺も思わず目を疑う。
屋上へ続く階段の踊り場に、これまで無かったはずの扉が出現している。
しかも二つ。
「マジマジスッゲー!何だこれ!いつの間に出来たんだ!?」
…これが七不思議の一つで、扉を開けると引きずり込まれる、とかならよかったのだが。
残念なことに、扉には
『跡部景吾 控え室』
『樺地崇弘 控え室』
の文字があった。
その後俺達は二手に分かれ、それぞれ部長とバケモンの控え室に足を踏み入れた。
残念ながら俺は部長組だ。…どちらにしろこの場に居ること自体が残念なのだが。
「ハッ、質素な部屋だな」
「職人さんが一晩でやってくれました」
「またか!!職人さん凄いな!!」
…それにしても、この空間…前にもどこかで見たことがあるような…
そう、親戚の……
その答えに思い至った瞬間、また残念なことに、それは現実のものとなってしまった。
部長の前に差し出されたのは、赤いウエディングドレスだった。
…目眩を感じて頭を押さえると、鳳が「大丈夫?」と声を掛けてきた。何で笑顔なんだ「お腹痛い?」じゃねえよ黙れ。
部長も「俺様のドレス姿を想像して酔ったか?」じゃない。死ね。今すぐ窓からJetドライブしてしまえ。
わざわざ呼んであったのだろう、お手伝いさんらしき人達が部屋の奥から出てきて部長を取り囲む。
「今日は記念に残る日となるからな、俺様の美しさを最大限に引き出しやがれ」
とかふざけてるのか、いや、この人はいつもこうか。もうどうすればいいのか分からない。何故俺がここにいるのかも分からない。
忍足先輩が「まあ元気出しいや」とか言って肩を抱いてきたので眼鏡を割った。
十五分後、すっかり花嫁姿になってしまった部長は満足げに鏡を見ていた。
ドレスと髪と瞳の色、確かにどれも綺麗なのは認めざるを得ない。
だがどう考えてもガタイが良すぎるだろう。
「跡部、すっごくキモイ……いや、キレイだよ!」
「ファーッハッハッハァァア!!当然だ!!」
「ほな、式場行こうや。皆待ってんで」
「日吉、裾持ってあげなよ」
「俺が!?」
「そうだな、次期部長の特権だ。有り難く思え!」
「いりませんよそんな権利!!」
渋々部長のドレスの裾を持って歩き、式場(元屋上)の前まで辿り着いた。
「それでは、跡部景吾の入場です」
――その扉が開いた瞬間、俺はまた絶句した。
教会が大聖堂になっている。
天井は一ヶ月前より遥かに高く、天使だか神だか、そんなような絵が描いてある。
面積も広くなったようで、入り口からでは向こうの壁際に立っている人が誰かすら分からない。
「職人さんが一晩でやってくれました」
「どんだけ技術力あるんですか職人さん!!」
これだけ広くなったのだから収容人数も格段に増えたはずだが、座席は隙間なく人で埋まっていた。どれだけ暇なんだ、この人達…
向こうの端まで敷かれた赤い絨毯の上を進んでいくにつれ、目眩が激しくなってくる。何なんだ。常人を苦しめる結界でも張ってあるのか。
弾くなら弾いていっそ楽にしてほしい。そしてもう二度と近寄らなくて済むようにしてほしい。
ふと顔を上げると、結界の中心には理事長が居た。
……目眩は一層強くなった。
「それでは、樺地崇弘の入場です」
振り返ると、随分遠くなっていた扉が開く。
……遠くて、よく分からない。
だからこれは見間違いだ。
瞳を閉じて深呼吸し、そう強く念じながらもう一度目を開ける。
しかし残念ながら、やはりこちらに向かって来るのは、
白いドレスを着たバケモンだった。
「おかしいでしょう!!こっちがドレスならあいつはタキシードじゃないんですか!!?」
「えーだって、壁男はホクロ×ウスだし。間を取った結果よ」
「なら何故間を取って両方タキシードにしなかったんですか!!!」
「見たかったし」
「跡部も見たがっとったし」
「ロマンチックですねー」
「どこがだ!!!」
「さ、さすが樺地…!ににに似合ってんじゃねーのよ…!」
部長は今にも鼻血を噴きそうな顔をしていたが、ドレスも絨毯も赤いからどうだっていい。
「白いドレスを選んだ俺様の目に狂いは無かったぜ…!!」
頭は狂ってますけどね。
パシャパシャという音に振り返ると、先輩が赤いクリーチャーと白いクリーチャーの出会いを撮影していた。
そして、よく見ると白いクリーチャーのドレスの裾を持っているのは監督だった。
…もうここには正常な人間は居ないのか。
「それでは、これより跡部景吾から樺地崇弘への饅頭進呈式を執り行います」
何故饅頭を選んだんだ、部長。
疑問は沸き起こる拍手と、嵐のようなシャッター音に掻き消された。
「汝、跡部景吾は、この男樺地崇弘に尊敬され、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、
病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、樺地を思い、
樺地のみを従えることを、神聖なる饅頭のもとに誓いますか?」
「…フン。俺様には良き時と富める時と健やかなる時しか無いが…まあいい」
広い会場であるにも関わらず、部長の声は良く通り、辺りはしんと静まり返る。
貴方の頭はいつも悪いし病んでますよ。
などと言おうものなら集団リンチを喰らうだろう。
「――ここに誓うぜ、ただし死が二人を分かとうと有効だ!!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」
大きな歓声は地鳴りとなって脳へ響く。…頭が痛い。
「受け取れ樺地!!」
「ウ、ウス!!」
そう言って部長(赤いクリーチャー)が差し出したのは、どう見ても泥団子だった。
……手作り…か…?
それにしても酷い出来だ。
「ありがとう…ござい、ます」
俺の二倍の幅はあるんじゃないかというような肩をさらけ出したバケモン(白いクリーチャー)は頭を下げ、穏やかに微笑んでいる。
その周りをぐるぐる回りながらシャッターをきる先輩と、スケッチブックを構えた忍足先輩。
目が回ってくるからやめてもらいたい。いや、もうとっくに目眩はしているのだけれど。
ちらりと横を見ると、同じように生気の無い目をした向日先輩と宍戸先輩が居た。
しかも今回は二人とも天使の格好だ。どちらも手にはメガホンを持っている。
…互いにもう口を開く元気は無い。
更に隣を見れば、もう一人のメガホン天使が絨毯の上で眠っていた。
マイペースな人間はいいな、と、こういう時に少しだけ思う。
――地鳴りはいつしかATOBE・KABAJIコールに変わり、窓から見える夕陽が俺たちを照らしていた。
「いやあまさか十時まで続くとはね」
「びっくりやね。けどいい式やったわぁ…」
「俺もう門限とっくに越えちまったぜ…」
「ひゅーひゅー、不良少年!やるねー」
「不良な宍戸さんも素敵です!!天使も素敵でしたけど!!」
「親御さんには私から連絡を入れてある。心配するな」
「テレビ見たかったのになあ…クソクソ」
「岳人天使可愛かったでー、あれ私服にしたらええのに」
「あ、そうだー!チョコのお礼だC!」
「あ、ありがとう。うまい棒か…二倍返しね」
「そうだ、すっかり忘れてたぜ」
「俺も!」
「俺からはこれです」
「カットよっちゃんとミニコーラと青りんご餅…六倍返しじゃない!ありがとう!」
「はい、これ」
「ありがとう。ミルキー…、ついに十倍返し…!」
「俺は貰うてへんからあげへんもーん。さんなんか嫌いやもーん」
「俺からはこれです!」
「わあ、フラン!?ありがとう!このお坊っちゃまめ」
「私からはこれだ」
「マ、マリーとムーンライトのセット…!?流石会長、格が違うわ…ありがとうございます!」
「監督は蒲焼さん太郎かキャベツ太郎渡しはったらおもろかったのに〜」
「皆ありがとう、これからのウォッチングのお供にするわ!」
「……誰もが…もうNO REACTION……」
「では皆、気を付けて帰ってよし!!」
この翌日、日吉の必死の反対は虚しく押し切られ、クレマチス号外の一面には大聖堂での一件が掲載されることとなる。
カオス。
バレンタインホワイトデーはいつも本編のパラレル的な位置付けで書いてるんですが、
今回は二人が結ばれすぎたので、いつも以上にパラレル強めということで。
2010.3.14