「バレンタインやね」
「そうね」
「そうだな」
「………もう言わんとくわ」
「?何を?」
「…おう、俺もやめとくぜ」
廊下に座り込んで休み時間の跡部を観察中。
の隣で、侑士と宍戸が何故か遠い目をしている。
…つーかさすがに会員全員(と協力員一人)で廊下に陣取るのは邪魔じゃねーか?
せっかくの休み時間なのに、クソクソめ。
「ねーー…、チョコねーのー?」
ごろんごろんと寝返りをうちながらジローが尋ねる。
「ん?ああ……はい、ECC」
は鞄の中から小さな何かを取り出した。
「うおー!五円チョコ!!マジマジケチくせー!!」
「もう…贅沢言わないでよ」
「ぐぅぅおあぁぁぁぁあああ!!!!」
「だC〜とか言ってる奴が出す声じゃないわね……」
に頭を掴まれて奇声を発してるのに、頑なにチョコを離さないジローはなかなかの強者だと思う。
「皆もどうぞ、ここ置いとくから取ってね」
がひっくり返したポーチから、五円たちが釣り銭みてーに廊下に飛び散っていく。
「サンキューな、」
「ありがとうございます、先輩。これ、五円玉の形なんですか?面白いですね、宍戸さん!」
「ったく、金持ちアピールかよクソクソ…。ありがとなー」
「ありがとう、さん」
「…ありがとうございます」
「チョ…チョコや……!!なんでやろごっつ嬉しいんやけど……!!!」
「ああ?義理で喜んでんのかよ侑士!だっせーな」
「いや、ちゃう、そうやなくて…なんや……!!こう……!!!」
「…ん、」
実はひっそり紛れていた監督が小さく声を上げた。
「…、私のショコラは用意していないのか」
「え?用意したはずですが……」
驚いたが慌てて辺りを見渡し、ぴたりと止まる。
「あ」
「えっ」
「眼鏡、それあんたのじゃないわよ。ということで、これが会長の分です」
「ええぇぇぇええ!!!?」
「そうか。すまないな、」
「いえ。会長にはお世話になってますから」
「……え、さん?俺の…は…?」
「ごめん、忘れてた」
「ええぇぇぇええ!!!?」
「…さて、ということで」
廊下に伏せった侑士は無視して、は俺たちの方へ向き直った。
目が暗く輝いててめっちゃくちゃこええ。今度は何考えてんだ?
「次の休み時間、樺地君の教室へ行こうと思います」
「樺地んとこ?」
「跡部に声掛けるんじゃねーのか」
「俺も、てっきり跡部部長にチョコ渡させるとか下らないこと言い出すのかと」
「…ああ、今年は樺地から渡すのを手伝おうっつーことか………ん?『今年は』?」
すぐの目的がわかっちまうなんて、さすが会員No.3だな…。
本人に言ったら号泣されそうだからやめとくけど。
「まあそういうことね。樺地君のことだから、多分チョコは用意してあると思うんだけど」
「それをロマンチックに演出しようって作戦か。やるねー」
「その通り。皆、いい案ないか次の授業中考えておいてね」
「真面目に授業受けて下さいよ…留年なんかされたらこっちが困るんですから」
日吉の溜め息と同時にチャイムが鳴る。
……やべぇ、次体育だった!!
慌てて駆け出した視界の隅、宍戸に引き摺られていく侑士の姿が見えた。
「遅い」
「うああああああああ!!!」
楽しい体育の授業も終わり、に頭掴まれたくねーから仕方なく樺地の教室までやって来た。
なのにやっぱり頭掴まれた。
「体育ちょっと延びたんだから仕方ねーだろぅああああクソクソ……!!!」
「あんたねぇ、会と授業どっちが大事なの!?」
授業だろ!!!
そうツッコみたかったけど、頭が痛すぎて声が出なくなってきた。
「さて、じゃあ…壁男」
「俺?」
「樺地君に、昼休みに本館の屋上に来て跡部にチョコを渡すように伝えてきて。私じゃ不自然だから」
「了解、行ってくるよ」
「気をつけろよー…って、忍足いつまで拗ねてんだ鬱陶しいな」
「ひどっ!!」
滝は一人教室へ乗り込み、樺地に一言二言話し掛けてすぐに出てきた。
まあ樺地相手だから、勘ぐられたりしないで要件だけで済んだんだろうな。
「お疲れ壁男。会長、屋上の状況を確認しておいてもらえますか。ししろも一緒に見てきて」
「は?!なんで俺……あ、はい分かった分かりました」
暴力と権力に屈した宍戸は、遠い目をしたまま監督と階段に消えていった。
そして昼休み。
跡部の教室の前で陣取っていると、廊下の向こうから大きな影が近寄ってきた。
「あ、樺地だ!ねえ宍戸さん!」
「…俺に振る意味が全くもって分からねぇ」
何故か宍戸の元気がない。屋上で何かあったのか訊きたい…けど、やっぱり怖いからやめておいた。
樺地は俺たちに気付くと軽く会釈して、こっちへ向かってくる。
「跡部が中庭に走らんてことは、事前に樺ちゃんから連絡があったみたいやね」
ようやく復活した侑士が呟く。
…さっき通りすがりの女子集団にチョコ投げつけられてたから、いつにも増して髪がぼさぼさだ。
「…しかし部長、落ち着きないですね」
「そっわそわだC〜…激ダサ」
樺地は一礼して教室に入ると、跡部の席の隣に立った。
「アーン?樺地じゃねえか」
「ウス。…屋上…に」
「…ああ、そんなこと言ってたな。仕方ねえ、行くぞ」
「ウス」
「いかにも『俺様全然楽しみになんかしてなかったぜアーン?』って感じやね」
「さっきまであんなそわそわしてたのにね。白々しい」
「そう言いながら笑顔でシャッターきるのやめろよ…怖えよ」
教室を出た二人に続いて、俺達も屋上を目指す。
大勢引き連れすぎて人目が痛いけど…なんかもう慣れてきたな…
四階と屋上の間の踊り場の手前で息を潜める不審者九人。
本当は立ち入り禁止になっているドアの鍵を開け、跡部はノブに手を掛けた。
屋上のドアが開いたその瞬間、目映い光に包まれた二人の動きが止まった。
「…何だこりゃ」
「…ウス」
何だ?
振り返れば青い顔の宍戸が溜め息をつく。
二人が邪魔なのと、角度のせいで俺達からは何も分からないが、
が新しい一歩を踏み出す二人の姿!とか呟きながらシャッターをきっている。
「…とりあえず、行くぞ」
「ウス」
離されたドアが音を立てて閉まる。
「じゃ、私達も行きましょう。眼鏡、セッティングOK?」
「大丈夫やで!」
「よし、行くわよ!」
先頭に立つがゆっくりとドアを開く。
――その隙間から見えた光景に、皆が絶句した。
真っ白な壁。
キラキラ輝くステンドグラス。
長い椅子に重そうな机、それから――十字架。
「……これって」
「なるほど!この状態が絶句か!」
「どこからどう見ても…」
「やるねー」
「教会ですか!ロマンチックですね、宍戸さん!」
「………」
「費用は会長のポケットマネーと私のお小遣いからです。職人さんが一晩でやってくれました」
「だから五円チョコだったんだな…」
「あ、あと皆の私物とブロマイドも売り捌きました」
「買いました」
「おおおい!!!長太郎もちゃっかり買ってんじゃねーよそんなもん!!!!」
「せめて許可取って下さいよ!!」
「俺のフィギュア無くなっとったのさんの仕業やったんか!!!」
「それは捨てました」
「捨てたんかい!!!」
「アーン!?…お前ら、何してやがる!」
「うわ!見つかったで!!」
「いいのよ、今年……いや、今回は。皆、席について」
首を傾げながら、皆長い椅子に座り始める。
それと同時に、ドアが再び開いてどう見ても生徒じゃねー人達が十数人入り込んできた。
よく見ると学園長が居たけど、あとは知らない奴ばっかりだ。
…でも、どっかで見たことある奴が何人か居るような…?
「あ、あれ、前に入った飯屋の店員だろ!」
「ああ!」
「あっちは樺地ん家の向かいの家の人だぜ!」
「なるほど…協力員の方たちですか」
「しかしいつの間に学園長まで…」
一気に埋まった座席をぼんやり眺めていると、に肩を叩かれた。
「何だよ?」
「あのね、赤味噌はこれ着けて…えーと、ヌーン猿と…?」
「……ムーンサルトか?」
「そうそう、それそれ!それやっててね」
そう言って手渡された袋の中には……背負うための紐がついた真っ白い羽と、
頭に装着するためのカチューシャが針金で結ばれた…天使の輪っか?があった。
「…なんだよ、これ」
「本当は角笛も欲しかったんだけどね…今回はメガホンで我慢してくれる?」
「雰囲気台無しだなおい!」
こんだけ金掛けてるくせに、なんで天使は生身の人間実写なんだよ!!
もっとこう…3D映像とかあったんじゃねーのか!!
…その間、ぽかーんとした顔で立ち尽くしていた跡部と樺地をなおスルーし、は監督に目配せした。
監督は頷くと、前に置いてあるピアノに近付き、ゆっくりと弾き始めた。
「なんだこれ、賛美歌……?」
「わあ、いい音…さすが監督ですね。ねえ宍戸さ…死んでる!!?」
「死んでねえよ。こいつ、クラシックとか聴くとすぐ寝ちまうらしいぜ」
「開始二秒で立ったまま!?」
「…ちょっと待って、よく聴いて。これ…」
「…あ」
「「……好きさ好きさ好きさ……」」
上品な曲に変貌を遂げた好きさ(略)をバックに、跡部と樺地の傍へ学園長が歩み寄っていく。
「二人、前へ」
「はあ」
ここまで空気に呑まれた跡部を見るのって初めてかもしれねーな。
たまには俺達の苦労も味わいやがれ、クソクソ跡部め!
言われるがまま二人が歩み出ると、学園長はわざとらしい咳払いをして机の前についた。
「それでは、これより樺地崇弘から跡部景吾へのチョコレート進呈式を執り行います」
学園長が宣言した瞬間、客席からは拍手が巻き起こる。早くねえか。
はシャッターをきりまくり、侑士はビデオカメラを構えている。早くねえか。
「汝、樺地崇弘は、この男跡部景吾を尊敬し、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、
病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、跡部を思い、
跡部のみに添うことを、神聖なるチョコレートのもとに誓いますか?」
「ウス」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「「ウスって言っちまったーーーーー!!!!!」」
「おめでとう跡部!やるねー」
「何の迷いもなくウスって言っちまったあああああ!!!」
「マジマジスッゲーもう逃げられないC〜〜!!!」
色んな意味の悲鳴と拍手とシャッターの音が入り交じる。
「ウス」
少し顔を赤くした樺地が、跡部にチョコを差し出す。
…が、
「………」
跡部はぴくりとも動かない。
「…リアルドールみたいやな。怖っ」
「……でもなんか涎出てね?」
「涙も…あっ鼻血出てきた!」
「怖ッ!」
落書きされた顔みたいになってしまった跡部を、樺地が覗き込む。
「…跡部…さん?」
おずおず声を掛けると、跡部はハッと顔を上げた。
「…………フフフ」
「ん?」
「ハハハハ」
「…壊れましたね」
日吉が憐れむような視線を投げる。
その隣のは両手でシャッターをきりながら、必死に耳を傾けている。
「ハハハ、ファーーーッハッハッハッハッハッハァァァアアア!!!!!」
大地が揺れるような高笑いの後、血と涙とその他諸々で酷いことになっている跡部は高々と腕を掲げた。
「最ッ高じゃねーーの!!!」
あんなに輝いてる跡部は初めて見たぜ……あんな汚れた顔も初めてだけどな…
「おい樺地ィ!!ホワイトデーは容赦しないぞ!!いいな!!!」
「ウス!!」
「お前らも分かってるだろうな!!!一ヶ月後の今日、またここに集合だ!!!!」
「「うおおおおおおおおおおお!!!!!」」
なんだ。これからプロレスでも始まるのか。教会で響く声じゃねーだろ、これ…。
その後のATOBE・KABAJIコールは一時間も続いた。
……授業受けに戻ろうとしたら学園長に止められるっておかしいよなぁ……。
「いやぁ、ロマンチックやったわあ…お嫁さんはいつの時代も乙女の憧れやもんな!」
「跡部部長は乙“女”ではないはずですがね」
「じゃあ今晩は新婚初夜ね!どっちのお家でおごそかな儀式終わるのかしら!」
「いややーー!!いややーー!!!『けいご、むねひろのおよめさんになる!』やもんーー!!!」
「うるさい眼鏡」
「あっ!今回は珍しく最後まで眼鏡が持ったと思たのにやっぱ割られた!!」
「忍足、分かってないねー。お嫁さんは樺地だろ?」
「うわっ!!レンズがチョコレートになった!!何何何やのこれ!!何マジック!?前見えへん!!」
「フフ…僕のチョコレートは気まぐれ…」
今年は休み時間全部削られたせいで、あんまりチョコ貰えなかったな…
「なあ宍戸、今年何個貰った?俺五個だったんだけど」
「えぇっ!!?え…えーと…の入れて…えーと…」
「ん?……おい何泣いてんだよ宍戸、まさかそれ一個ってことねーだろ!?」
だはは、と笑うと、宍戸の目から大粒の涙が落ちた。
なんというカオス。
2010.2.14