三月十四日、ホワイトデー。
バレンタインに頑張った可愛らしい少女達(一部例外で少年)が逸る胸を抑えてお礼を待つ日。
…忍足や宍戸がデジャブだと呟いているが、私は知らない。
二時間目と三時間目の間の休み時間、跡部の教室の前の廊下にて。
「来た?」
「ああ、来たぜ…残念なことにな」
「俺もです…残念なことに」
「俺んとこにも来たぜ!」
「俺もだCー」
「俺もです!ねえ宍戸さん!!」
「知らねーよ」
「私もだ」
の問い掛けに口々に答える我が会員達。
しかし、
「…え?何が?」
氷帝の誇る天才・忍足のみが首を傾げている。
「何ってお前、跡部からの招待状に決まってんだろ!」
向日が向日葵のような明るい笑顔で言う。
だが。
「え、招待状…?何の?」
忍足がそう尋ねた瞬間、その場が凍り付いた。
「え」
「え」
「お前……まさか」
「ハブられた…?」
「……え、えー!?いやいやいやそんなわけないやん!!ほらほら、軽い郵便事故か何かでちょーっと届くん遅なっとるだけやねんて!!!郵便屋さんも大変やなあ!!!」
「郵便じゃなくてリムジン手渡しで届いたんだけど」
「しかも届いたの、もう三日も前…だCィ……」
「あ…ほ…ほら、天候悪くて見送りになっとるだけやって!!それかめっちゃ渋滞しとるんやなーって三日も渋滞ってありえへんわー☆あはははははうわああああああん!!!!」
「ここ三日、ものすげー快晴だしな」
宍戸の追い討ちにより、忍足は床に伏せった。
いじめはよくないと、改めて教育すべきだな…。
「だからね、バレンタインのお礼にって食事に招待してくれたのよ」
嗚咽を洩らす忍足を宥めながら、状況を説明する。
「俺達が関わってたことは部長は知らないはずなんですが…まあ、ついででしょうね」
時間稼ぎ組を一瞥しながら、日吉が呟いた。
「俺…!めっちゃ直に関わったのに…ダッシュでチョコ買うて来
キーンコーンカーンコーン
「はいはい分かった分かったさっさとしろ忍足」
「そうだぜ、ぐだぐだうるせーよ侑士」
「冷たぁ!!!」
チャイムに掻き消された主張と友人達の対応に嘆きながらも、忍足は皆の後に続き自分の教室へと戻って行った。
それぞれに多少の問題はあるものの、皆基本的には真面目なのだな。さすがは我が教え子達だ。
思わず弛む口元を隠し、私も音楽室へと足を向けた。
そして、放課後。
跡部からの招待状に書かれていた時刻は七時。それまでにはまだ時間がある。
「とりあえず、いつも通り帰り道ウォッチングね!」
意気揚揚と宣言するに、向日の口元が歪む。
「えー…俺、一旦家帰りてーんだけど」
「俺もです。どうせまた後で跡部部長の顔見なきゃならないんですから…」
「何や日吉、それは招待されてない俺への嫌味か?当て付けか!?えェこら調子乗んなやこの茸!!ひよこ!!うわあああああん!!!」
「…すごく欝陶しいですね、この人」
「今頃気付いたのか若」
突っ伏す忍足に容赦なく冷たい視線が浴びせられる。
「もーめんどくさいから忍足も来ればEじゃん」
「そうですね、この調子じゃ面倒臭いですもんね。ねえ宍戸さん!」
「ああ」
「…み、みんな……!」
皆の言葉に瞳を潤ませる忍足。
だが別にそれは優しさではないということを、彼はまだ理解していないようだ。
「…では、俺はこれで痛ッちょっ、何するんですか!!!」
「つべこべ言わずに来なさいよ、ぴよす」
が日吉の頭をぐわしと掴む。
「もう『よ』しか合ってないじゃないですか…!」
…ぴよす、か。なかなか愛らしい響きだ。
今度私もそう呼んでみるとしよう。
跡部はいつもと同じように樺地を連れ、帰路へつく。
「樺地」
「ウス?」
「もうこのまま、直接俺様ん家来るだろ?」
「ウー、ウス。ご迷惑で、なければ」
「バーカ。迷惑ならわざわざ言わねーよ」
「ウス」
遠慮がちな樺地に、跡部は意地悪く笑ってみせる。
今日一日、樺地はクラスメイト達から山のようにお返しを貰っていたが、バレンタインの時のように跡部が床に突っ伏すことはなかった。
バレンタインにチョコを贈り合ったという安心感と、今日の日の食事の約束を早いうちから取り付けていたためであろう。
先を行くその足取りはとても軽やかだ。
「そうだ、樺地」
「ウス?」
「バレンタインの礼…まだだったな」
「ウ……いえ…、跡部さんからも、頂いたし…今日、お食事に呼んでもらったし…」
「ア、アーン!!?うるっせーよ!!つべこべ言わずに俺様の鞄開けやがれ!!」
「ウ、ウス」
顔を真っ赤にした跡部に怒鳴られ、樺地は言われた通り鞄を開ける。
「…その、青いやつだ」
「ウス」
鞄からそっと青い包装紙に包まれた何かを取り出す樺地。
照れ臭いのか、その光景を直視出来ず顔を背ける跡部。
更にその光景を写真に収める。相変わらず素晴らしいシャッター捌きだ。
「…開け、ても?」
「!!っ、おお、おう」
小首を傾げて問う樺地の愛らしい姿にやられたのか、跡部は落ち着きなく首を動かし回る。
あまりの速さに残像が残っている。
樺地の大きな手が丁寧に包装紙を剥がして行くと、中から水色の箱が現れた。
その光景を録画していたが、目を見開いて息を呑む。
「ハッ…!!まさか、中学生に相応しくないおもちゃ!!?」
「やめてーー!!あ、相応しくないって、対象年齢が低すぎるっちゅーことやな?!そっちやんな!?なあ!!?」
「何言ってんのよ、R21なあんな物やそんな物に決まって「いやーーー!!!18禁ですらなしなん!!?」
「うるさい眼鏡」
眼鏡は割れた。
「…と言うか、そんな物ホワイトデーに貰っても困りますよね」
「いや、ホワイトデーに限んねーだろ」
「困るって言うより気持ち悪いC…」
粉砕された眼鏡の欠片を必死で拾い集める忍足を、冷めた目で見つめるぴよすと向日、芥川。
…そして、その後ろでほんのり頬を染めて動揺している宍戸。
そう、それでこそ思春期、中学生男子の在るべき姿だ。
その更に後ろで、そんな宍戸の姿に興奮している者も居るが。
「あ」
箱を開け、中を覗いた樺地が小さく声を漏らす。
中身を捉えようと、大きな目を極限まで細めていた向日は首を捻った。
「…箱?」
それに釣られ、皆の周りにも疑問符が浮かぶ。
「箱ぉ?」
「箱in箱て、何やのそのマトリョーシカ的な」
「いや、なんかすげーごてごてした箱なんだけど」
向日が更に身を乗り出した瞬間、樺地がその箱を開けた。
〜〜♪
一拍、間が空き。
柔らかく耳に届いた音に、皆は合点がいったというように一斉に声を上げた。
「ああ」
「オルゴールか!」
「中で何か回ってるC!!」
ぴょんぴょんと跳び跳ね、芥川は箱──もとい、オルゴールの中を覗き見る。
「樺地君と跡部の人形ね」
「そうなのか?よく見えるな…ってうわっ」
「何?」
「何じゃねーだろ、何だその本格的な望遠鏡!どっから出した!」
いつの間にか自分の隣にセッティングされていた三脚付きの望遠鏡に驚き、宍戸は眉を歪める。
「こういう時のためよ。ちなみに資金提供は短太郎」
「そ、そうなのか…?」
の言葉に宍戸は恐る恐る振り返り、背後の鳳に問い掛ける。
「はい!だって、宍戸さんのあんな写真やこんな写真と引き替えだって言うから…出さないわけにいかないじゃないですか」
「おおおおおおい!!!いつ撮った!?何撮ったんだ!!!」
「ちょっ…揺らさないでよししろ!!見えない!!」
のビンタを食らった宍戸は吹っ飛び、運悪く電柱に熱い抱擁をした。
「…別に樺ちゃんと跡部応援しよーいう気は無いんやな、お前」
「ありますよ!少しは」
「…少しなんやな」
悪怯れた様子ひとつ見せない鳳の眩しい笑顔に、忍足は遠い目をして微笑んだ。
「可愛い…です」
くるくると回る二人の人形に、樺地は目を細める。
「!!!…あ、ああ、そうだろうそうだろう!!職人に作らせた陶器の人形だ、大事に扱えよ!ファーッハッハッハ!!」
「…今、また『可愛い』の対象勘違いしたやろ、あいつ」
「そうみたいね。…まあ、跡部の人形を可愛いって言ったんだから間違ってもないけど」
優しいパステルカラーで彩られた二人は確かに愛らしい。
「ハッ…!まさか、樺地君は帰ってからあの人形であんな遊びやこんな遊びを……!!」
「いややーーーー!!!」
「うるさい眼鏡……って、ちょっと待って」
「え?」
寸前で止んだの攻撃に、頭を抱えて防御していた忍足が腕の隙間から問い掛ける。
「皆、よく聴いて」
「何だ?」
首を傾げながらも皆口を噤み、静寂の中にオルゴールの音が響く。
チャラララン…
チャラララン…
チャラララ…ララチャラララン…
「…ああ」
「あー…」
ああ…私としたことが何故気付かなかったのだろう。
「…KA・BA・JIか、これ……」
「すっげーアレンジきいてっから気付かなかったぜ…」
改めて感じる跡部の愛の深さと重さに、会員達は憐れみにも似た視線を送る。
そんな視線が注がれているなどとは露知らず、跡部はじっとオルゴールを眺める樺地を更にじっと眺めていた。
「ありがとう、ございます。大事に…します」
樺地はそう微笑むと、オルゴールを元のように包み直し、丁寧に自分の鞄へとしまい込んだ。
そして代わりに現れたのは黒い袋だった。
「自分、からも…バレンタインの、お礼、です」
「!!!」
そっと差し出されたそれと樺地の顔を交互に見、跡部は落ち着き無く両手両足をばたつかせる。頑張れば空も飛べそうだ。
「よかったら…貰って、下、さい」
「お…おおおそうかありがとうな!!アーン!?」
「もうアーン?の使いどころおかしなっとるやん」
「そのうち樺地君に言わされるようになるのよ…ベッドで」
「いやーーー!!いややーーー!!!」
「うるさい眼鏡」
の手刀が忍足の頸動脈にヒットした。さすがにそれは生命に危機が及ばないだろうか。大丈夫か。教え子が教え子を殺害なんてごめんだぞ、私は。
道路に横たわる忍足をどうにかしてやろうと思ったが、どうすれば良いか分からないのでとりあえず塀にもたせかけるように座らせておいた。
「…良い手並みですね先輩」
ぴよすも感心してないで助けてやれ。
「開けるぞ!」
「ウス、大した物じゃ…ない、です…けど」
跡部は期待を隠しもせず、いそいそとリボンに手を掛けた。
期待で上がる口端は、普段のように嫌味を含んだものではなく。
包む輝きも普段のように冷たいものではない。
「……アーン?」
袋から出てきた物は、
「…箱?」
「またかよ!!」
現れた木箱に宍戸と向日がツッコミを入れる。
「…いや、それどころじゃないわよ」
「よー見てみい」
の指差す先では、跡部が箱の蓋に手を掛けている。
「まさか、こんなもん寄越すとは思ってなかったぜ」
喉を鳴らして笑う跡部は、その蓋を開けた。
──と、同時に。
〜〜♪
流れ出す音。
「…おい…嘘だろ…」
「マジかよ…」
「樺地からもオルゴール!?」
恐ろしいほどの偶然の一致に、皆感動や驚きを越え恐怖する。
「しかもあれ、手作りっぽいよな…」
先程のオルゴールと比べれば音色は多少劣るが、それでも、音の優しさは遜色ない。
「何の曲だ?これ」
向日が首を傾げる。
これは…、
「…氷の世界だな。なかなか原曲に忠実に作ってある」
うむ、と頷く私の言葉に、芥川が疑問を浮かべた。
「でもなんでこの曲なんだろー」
「…ハッ!!これはまさか、跡部を傷つけてしまいたいという樺地君の隠された欲望の表れ!!?」
「いややーーー!!!」
「…ハッ!!それともこれはまさか、跡部に弱点を攻められたいという樺地君の隠された欲望の表れ!!?跡樺!?」
「いややーーー!!!跡樺もええけどいややーーーー!!!」
「忍足うるさいC」
「ジローまで!?」
忍足は地味にビンタされた。眼鏡は無事だった。いや、すでに割れているのだが。
「やっぱ眼鏡割れんとおいしないなぁ…」という呟きは聞かなかったことにする。
「作ったのか」
「ウ…ウス」
「へぇ。なかなかよく出来てんじゃねーの」
「あ、ありがとう…ござい、ます」
横から下から箱を眺める跡部に、樺地は頬を染める。
「えらっそーな口きいてっけど、顔デレッデレだな…」
「もう目尻と口角がくっつきそうですね」
「そうか…お前が俺様を想ってこれを……」
「ウ?」
「い、いや!何でもないぜ!まあ寝室にでも飾ってやるよ、ありがたく思うんだな!!」
「ウ、ウス!」
跡部は止まってしまった螺旋を巻き、オルゴールを慣らしながら再び歩き始めた。
「クソ…やっぱりあいつらなんか呼ぶんじゃなかった…!」
「ウス?」
「あ、い、いやいやいやいや何も言ってねーぜ!?本当だぜ!!?」
「ウス…」
慌てて手を振る跡部に、樺地は小さく首を傾げる。
その後もじたばたした跡部が排水溝にはまりそうになったりとアクシデントが続いたが、やがて二人は跡部邸内へと消えて行った。
「…さて」
「で?どーすんだ?まだ一時間近くあるぞ」
七時までにはまだ少し時間がある。
「案ずるなかれ、ちゃんと手は打ってあるわ」
「ん?何か暇潰しでも用意してんのか?」
「眼鏡!セッティング始めるわよ!」
「イエッサー!」
宍戸の問いには答えず、と忍足はてきぱきと準備を始めた。
今日、の荷物(持たされていたのは忍足だったが)がやたら大きいのはこのためだったのだな。
「…おいお前ら、これ…」
「…よくやりますね、本当に」
そして数分後、そこ──跡部邸近くの歩道の植木の陰──には、モニターが鎮座していた。
更に、その画面に映るのは。
「これ生中継ですか!?凄いですね!ねえ宍戸さん!」
「これ盗撮だろ!!ただの犯罪じゃねーか、もう!!」
モニターの中では、先に邸内へ入って行った跡部と樺地の姿があった。どうやら生中継映像らしい。
「執事さん達にご協力頂きました。各部屋・廊下、全てに隠しカメラを設置、更に映像を中継してもらってます。録画もお願いしてるんだけど、やっぱりリアルタイムで見たいじゃない?」
「着々と仲間増やしてんなお前!!いつの間に!?」
「さすがだな、」
「ありがとうございます会長」
人を味方につける力というのは社会に出た時にもきっと役立つだろう。将来が楽しみだ。
モニターに映る二人は大きなソファに腰掛け、改めて互いのオルゴールを眺めていた。
場所は跡部の部屋だろうか、テニスの大会のトロフィーらしき物も映っている。
…もっとも、跡部の部屋がいくつ存在しているのかは分からないが。
私の家に負けずとも劣らない豪華さだ。…………いや、すまない、見栄を張った。私の負けだ。ああ完敗だ。
同時に鳴らしたオルゴールの不協和音に二人が笑っていると、小さく戸が鳴った。
『入れ』
『失礼致します』
入ってきたのはメイドさんだった。その手には紅茶と、小さな焼き菓子が入ったバスケット。
二人の前にあるテーブルに、それらをそっと並べていく。
『ありがとな』
『いえ。ごゆっくりどうぞ』
『ウス』
後半は樺地に語り掛け、メイドさんは部屋をあとにした。
──出て行く瞬間、カメラに向かって小さくブイサインをしたように見えたのだが…見間違いだろうか…
『注げ、樺地』
『ウス!』
跡部がパチーンと指を慣らすと、樺地はポットに手を延ばし、慣れた手つきで紅茶を注ぎ始めた。
『どう、ぞ』
『ああ』
紅茶を口に含んだ跡部は満足気に微笑んだ。
「和むなあ…」
その光景を見つめる忍足も思わず微笑む。
「お菓子マジマジ美味そうだC!腹減ってきたー」
「もうちょっとの辛抱だぜジロー」
ぐるると鳴く腹を押さえる芥川の肩を向日が叩く。
「わー、跡部部長物凄い眼力で樺地の方見てますね。ねえ宍戸さん!」
「振るな、俺はそんな映像見たくねえ」
鳳の言葉通り、跡部は紅茶を啜る樺地を横目でじっと見つめている。
「ハッ…!!まさかこのまま、ソファの上で何事かが「いややーーーー!!!」
「確実に無いですけど、それを知らずに中継されてるとか嫌すぎますね」
「大丈夫、録画してあるって言ったでしょ?」
「会話噛み合ってねえ!!」
「つか、見たくねーよ」
「でも七時まであと三十分もないのよね…さすがに厳しいかしら。跡部はともかく、樺地君は約束すっぽかしそうにないし」
「何真剣に考えてるんですか」
跡部の視線に気付いたのか、樺地は微笑んで僅かに首を傾げる。
その瞬間、
『ドゥア!!!』
跡部は不可思議な声を上げ、ソファから転がり落ちた。
『!!?』
『アアアアーーン!!?』
慌てて駆け寄る樺地に、跡部は更に動揺し壇太一風の叫び声を上げる。
「押し倒したようにも見えるいい構図ね!!」
「いややーー!!」
そう言いながら、は素早くモニターに向けてシャッターをきる。
「録画してんだったら写メいらねーだろ」
「でも確かに、さっきの樺地の笑顔はなんか良かったなー。癒されたっつーか、ちょっときゅんとしたっつーか」
「それ、跡部に聞かれたらボコボコにされるでー…?」
樺地に起こしてもらった跡部は深呼吸して軽く頭を振ると、いつもの輝きを取り戻した。
この切り替えがキングたる所以だな。
『じゃあ、そろそろ行くか』
『ウス』
樺地はぐいと紅茶を飲み干すと、跡部に続いて部屋を出た。
その後ろ姿を追い掛けるようにモニターの映像が切り替わっていく。
そして着いた先は、広々としたホールだった。中央にテーブルがあり、周りには椅子が並べられている。
「もう七時になるな」
「じゃ、そろそろ行きますか」
皆頷き、跡部邸の門へと向かう。
「あ、眼鏡はモニターの片付けよろしくね」
「えええ俺!?しかも一人!!?」
「頑張れよー」
「冷たっ!!」
「ようこそいらっしゃいました、こちらへどうぞ」
メイドさんの案内に従い、邸内を進む。
「本当に高そうな物ばっかりだな…」
普段和風な生活をしているための物珍しさもあってだろう、ぴよすはきょろきょろと辺りを見回している。
「クソ、金持ちめ…!」
「何でもいいから一個位くれねーかなー」
宍戸や向日の呑気な会話を聞きながら、いくつものドアを通り過ぎて行く。
一際大きなシャンデリアの下を通るとメイドさんが立ち止まり、ドアを控えめにノックした。
「景吾様、皆様がご到着されましたよ」
「ああ。入れ」
ドアが開くと、シックな廊下とは打って変わって派手な内装の部屋が現れた。
先程までモニターで見ていた部屋なのだが、やはり実物となると違う。
「ようこそ監督、こちらへ」
「ああ。お招きありがとう」
きちんと上座を勧めてくる。さすが御曹司、マナーはしっかりしているな。
座っていた樺地も立ち上がって頭を下げている。すっかり跡部家の人間のようだ。
「お前らもよく来たな。まあ、好きなとこに座れ」
「おー!!ご馳走マジマジ楽しみだC!!」
「失礼します」
「じゃあ俺ここな!」
各々席に着き、はしっかりと跡部と樺地の正面に陣取った。
と、そこで再びドアが開く。
「こ…こんばんはー…」
入ってきたのは、ようやく片付けが終わったのか、大荷物を抱えた忍足だった。
「アーン?忍足か。……ん?席がねえな」
「ええーー!!?何でなん!?何でハブられたん俺!!?」
「おかしいな。おい、こいつの席はどうした?」
跡部は振り返り、壁際に立っていたメイドさんに声を掛ける。
「申し訳ございません…ですが、お渡しされた招待状は確かに8枚でしたが…」
「アーン…?」
暫らく首を捻っていた跡部だったが、あ、と何かを思い出したように口を開いた。
「そういやお前の招待状、出すのを忘れてたな」
「あ…そ、そうなん?やんなあ、ただの出し忘れやんな!な!!ええでええで、そんぐらい気にせんから!!」
ハハハと笑う忍足だったが、跡部が更に言葉を続ける。
「お前の分、招待状書くのも、カード発注するのも忘れてた。悪いな」
「そ…それ事実上ハブりやんかーーー!!!!」
ひどいわー!とおいおい泣く忍足を至極面倒臭そうに見やり、跡部はまたメイドさんに話し掛ける。
「仕方ねえ、こいつの分の椅子と食事も頼む。…パイプ椅子で構わねえ」
「畏まりました」
「ひどっ!!あっさり承るメイドさんもひどい!!」
「まあまあ、席もらえただけよかったじゃない」
「そうだぜ侑士!俺は空気椅子が見たかったけどな!」
「ひどっ!!」
所謂コース料理。次から次へと皿が運ばれて来る。
どれも大変美味で豪華だ。
見たことのない物があったのか、皿の上の料理をしげしげと眺めていた宍戸は鳳に食べ方を教わっている。
…もっとも、マナーより食欲が勝ったらしい向日などは手掴みでバリバリと食べてしまっていたが。
──忍足の分は後から作ったためか、はじめの二・三皿ほどは待ち惚けとなり、加えてその後も周りより遅れて運ばれて来るため 料理の美味しさを訴えあい盛り上がることが出来ず、薄らと憂欝な空気を漂わせている。
更に、その寂しい状況に耐えかね、隣の芥川の皿から料理を頂戴しようとしてマジ切れされ、終には心を閉ざしてしまった。
助けてやりたいが…何分席が遠い。近いうちに何か奢ってやろう、と思いながら、そっと見て見ぬふりをした。悪いな、忍足。
一方、跡部と樺地は。
「…お前、相変わらず下手だな。オルゴールなんかはあんな綺麗に作るくせに…貸してみろ」
「ウ、ウス」
そう言って跡部が樺地のナイフとフォークを取る。
それまでぴよすにちょっかいをかけて遊んでいただったが、その瞬間人が変わったかのように鋭い目つき…スナイパーの目になり、即座に携帯を構えた。さすが、会員No.1か2という座に就いているだけある。
「…こうだ。ほら、やってみろよ」
「ウス」
跡部のナイフの使い方をじっと見、樺地もそれを真似る。
コピーの使い手だけあり、飲み込みが早い。跡部と全くと言ってよいほど同じ動きだった。
だが。
「だ…駄目だ駄目だ!!そんなんじゃ…だ、だから、こう、だよ!!」
顔を真っ赤にし、跡部が樺地の手を取った。
そしてぐいぐいと皿の上のステーキを切っていく。その切り方は、先程と違ってお世辞にも綺麗とは言えない。
「わ、わかったか!」
「ウス…ありがとう、ござい、ます」
自分でやっておいて照れ臭かったのか、跡部は樺地の手を放すと勢い良く身を引き、自分の膝で拳を握った。
無事に撮影できたのか、は満足気に頷く。
心を閉ざしたままだが、忍足も一部始終を凝視していた。
先程自分のしたことに自分で動揺しているのか、跡部の腕が震える。…異常に震えている。前歯を磨く時以上の振れ幅だ。
照れ隠しにステーキを口へと押し込もうとする、が。
「あっ」
「!」
そんな状態なのだ、当然手が滑り、口を遠く離れ泣きぼくろの辺りにソースがべったりとついてしまった。
「あ、景吾様」
反射的にメイドさんが動こうとしたが、に視線で制止され、はっとして立ち位置へ戻る。
「え、と…」
突然のことにおろおろしていた樺地だったが、ポケットにハンカチが入っていたことを思い出し、それで跡部の顔を拭く。
「!!!」
跡部の震えがいっそう増し、もはや曲の振り付けのようになってしまっている。
は片手に携帯、片手にビデオカメラで二人を撮影し、忍足も鋭い眼光で二人を捉え、後の現像に備えている。
「ば、お前、ハンカチ…っ」
汚れただろ、と言おうとした跡部だが、それを遮るように樺地が口を開く。
「ハンカチ…洗えばいい、です」
「そ、そんなの、おおお俺様の顔だって洗えば済むじゃねーか」
「…ハンカチ、より、跡部さんが…大事、です」
「!!!」
樺地の言葉に、跡部の瞳が潤む。
「…いや、よく考えたらハンカチと比較されてんだぜ?」
「…そうですよね、何げに酷いですね樺地」
「まあ本人幸せそうだし、いーんじゃない?」
料理にがっつきつつ二人を傍観していた皆が口々にツッコむ。
しかし、ビデオ撮影を邪魔するなという(別名:さん目怖っ!)の無言の訴えに、皆一斉に口を閉ざした。
「か…樺地…!」
「跡部さん…」
うっとりと見つめ合う二人。
甘い空気が流れる。
「ハッ…!ま、まさか公衆の面前で…!?」
が小声で悲鳴を上げるが、忍足は心を閉ざしているためツッコまない。
「…跡部、さん」
樺地がそっと跡部の頬に手を添える。
跡部は頬を赤らめ、肩を強張らせた。
──そして。
「でも、やっぱり、洗いに行き…ましょう。痒くなると…いけない、です、から」
「え、あ、……アーーン!!?」
期待を裏切られ残念なような、しかし内心ほっとしたような、そんな複雑な表情を浮かべ、跡部は叫んだ。
席を立つ二人の後ろで響いたのは、の舌打ちと、皆のやっぱりな、という呆れたような溜め息だった。
時刻はもうすぐ九時を回ろうとしている。
「じゃ、ご馳走さまでしたー」
「お邪魔しました」
「マジ美味かったー!!」
跡部やメイドさん達に頭を下げ、ぞろぞろと跡部邸を後にする。
はこっそりとメイドさんの一人から何か──恐らく、盗撮テープを受け取っていた。
「おう、気を付けて帰れよ」
「ウス。お気を…付けて」
見送るのは跡部、そして…樺地。どうやら今晩は泊まって行くらしい。
はメイドさんとこそこそ話している。今晩の二人の様子も撮ってもらえるよう頼んでいるのだろう。
今度にダビングしてもらおう。
「おい侑士ー、何辛気臭い顔してんだよ!」
向日が今だ心を閉ざしたままの忍足の腕を叩く。
忍足の背と手には、相変わらずの大荷物。
「あ、眼鏡!」
メイドさんと話し終わったのか、がくるりと向きを変え走ってきた。
「今日一日荷物持ちありがとう。はい」
「…え…?」
が何か差し出したのを見て、忍足が僅かに反応する。
「眼鏡拭きだよ」
「え…くれるん?………ってこれ使い捨てのやつやんか!!しかも一枚て!!!ちゅーか今俺眼鏡割れてんのに!!割ったんさんやのに!!!嫌がらせか!!うわあああああん!!!」
「あはは、侑士元気になったな!」
普段のツッコミを取り戻した忍足に、向日は笑い掛けた。
やはり元ダブルスだけのことあって、互いのことは気になるのだろう。
「あ、そうだ。バレンタインの礼渡すの忘れてたな」
宍戸が鞄から小さな袋を取り出した。
「え、何何?」
「皆でお金出しあって買ったんですよ。勿論、監督も」
「何がいいか考えたんだけどなー、ま、無難なもんにしといたぜ!」
が袋を開け、中を覗き込む。
「…あ、商品券!?」
「大した額じゃないですけど、まあ、何にでも使えますから」
「うん、盗聴器買う足しにする!!ありがとう、皆!」
「………」
「………」
「………」
「…どんだけこの会に生活捧げてんですか、あんた…」
太郎、案外まとも。
忍足が「いやー」「いややー」と叫んだ数9回。
2009.3.14