夕暮れ時の部室。
いつものように汗を流した部員達は、各々ロッカーの前で着替えている。
シャツの上から三つ目のボタンを留めながら、おかっぱの少年が口を開いた。
「侑士、最近付き合い悪いよなー」
「え、何がっくん、やきもち?いややわぁかわえぇなぁ」
「単笥の角に頭ぶつけろ」
「頭!?俺どんだけドジっ子やねん!」
先とは違って背の高い銀髪がそれに続く。
「宍戸さんも最近何だかおかしいですよ!!何ですか!誰と会ってるんですか!俺より大事なんですか!!」
「お前より大事じゃねーもんなんてねぇよ」

それぞれに喚く先輩・同輩を横目に、さっさと帰ろうと脇を抜けて行く茸頭の二年生。
彼は扉の前で立ち止まり、一応皆に挨拶はしておくべきかと暫し俊巡する。
しかし結局は巻き込まれたくないという思いが勝ち、このまま黙って帰るという結論に達した。
彼がドアノブを掴み、扉を開けると、そこには一人の女生徒が立っていた。


──手には盗聴器を持って。




「何なんですか!」
「うーん……愛の救世主?」
を見るや否や、誰ですか、って言うか何してるんですか!と叫ぼうとした茸頭──もとい日吉少年は、の小さな舌打ちと共に木陰へと引きずり込まれた。

「…ふざけてるんですかアンタ。何してたんですか」
「盗聴」
「堂々と言わないで下さい」
「じゃあ訊かないでよ」
悪びれる様子もないに、日吉は溜め息をつく。
「…どうせ跡部部長のファンにでも売るつもりだったんでしょう?」
「違うわよ失礼な!ただの個人趣味よ」
「余計質悪いじゃないですか」
「…まあ何にせよ、見てしまったのよね」
「ええ、見ましたよ。はっきりと」
「…会長」
が後ろを振り返る。
すると、木の後ろから長身の中年が現われた。
「か、監督!?」
まさか…、と言うか会長って何だ!?という顔をする日吉に、榊は語り掛ける。
「一つの愛を…見届けないか」
「!!?」




場面は再び部室に戻り、日吉が扉を開けた頃まで時間を遡る。
「何なんだよ!教えてくれたっていいだろ侑士のケチ!…あ、まさか彼女?彼女か!?」
冷やかしと焦りの入り混じった赤い顔で詰め寄ってくる向日の問いに、忍足はげんなりする。
「…事あるごとに眼鏡割る人のことを彼女て言うんか?」
「そうなんですか宍戸さん!!俺に黙って…!!」
「何でお前の許可が要るんだよ」
「事あるごとに眼鏡割られ…?え、お前まさかいじめられてんのか!?」
「いや…、…まあ言うてもええけどやな…」
忍足はターゲットである樺地と跡部の様子をちらちらと伺いながら口を濁す。
しかし当の跡部は緩みきった顔で樺地のネクタイを直してやっていたりと、まるでこちらを気にする様子はない。
「あー、ほなちょっと外出てや。説明したるから」
「言うのか!?…何か嫌だな…。別に俺の意志じゃねーのに誤解されそうで…」
「何言うとんねんししろ。もう大分染まってきたやろ?素直になりぃや」
ニヤリと笑う忍足は、そのうざさと気持ち悪さにより宍戸に全力のビンタを食らうこととなった。

弧を描き空を舞う途中で天井にぶつかり落下し眼鏡が割れた忍足を踏み付け、宍戸が扉を開けると、そこには榊と、そして真っ青な顔をした日吉が立っていた。
──手には盗聴器と、一枚の紙を持って。
「わ…若、まさかお前、」
がくがくと震えだす宍戸に、が笑顔で応える。

「会員No.4、ぴよし君です!!」




「ごめんな…ごめんな若!お前のこと守ってやれなくて…!!」
脱け殻のようになった日吉を抱き締め、宍戸は涙を流す。その背後では鳳が限りなく黒い笑顔を浮かべている。
「ま、既成事実っていうかね…判子はちゃんと頂きましたし」
「ああ。本人の手による捺印だ」
入会書を見つめ、と榊はにこりと微笑む。
「さ…さよか…」

「おい、お前だな!?侑士いじめてる奴ってのは!!」
向日が切り揃えた髪を揺らし、に勢い良く指を突き付ける。
「え?私?」
「覚悟ーー!!」
「一万年と二千年早いわよ」
あーーーーー!!
飛び掛かる向日をひらりと躱し、は赤いおかっぱ頭をぐわしと掴む。
の手には力が籠もり、ぎりぎりと頭を締め付ける。
「痛い痛い痛い!!ギブ!!ギブ!!」
「よし」
はぱっと手を離すと、向日に微笑みかけた。
「ところでみそっ子、私達に協力する気はない?」
「はぁ?何で俺gあーーーーーーー!!!!




「…いやあびっくりしたわあ」
「そうね」
「……さすがにちょっと乱暴やったんちゃうかな、さん」
「そう?」
「最初のあの慎重さはどこ行ってしもうたんや…」

人員の少なさを嘆いていた支援会は、今や六人の会員を抱えることとなった。
心に傷を負った会員No.4日吉、
頭部に傷を負った会員No.5向日、
そして「…あー、お前…どうする?」という宍戸の一声で自ら入会を希望した会員No.6鳳。
三人は達の後ろに続き、部室の傍で盗聴器に耳を傾け、盗撮カメラの映像を眺めている。

「…侑士お前、こんなことやってたのかよ…」
向日は青ざめた顔で一歩後ずさる。
「宍戸さん、何てことを…!今度宍戸さんの部屋に仕込んでおきますね!!」
「やめろーーーー!!!」

「何なんだ…この集団は…」
頭を抱える日吉に、が微笑みかける。
「ほら、下戸苦情したい相手のことは知っておいて損はないでしょ?」
「下戸じゃなくて下剋上です!!」
「ゲコ」
「馬鹿にしてるんですか!!」
「うん」
「………!」
日吉はを下剋上リストからそっと削除した。


現在部室に居るのは樺地と跡部、それからソファに横たわったまま微動だにしない芥川。
その光景を見て宍戸が呟く。
「もうジロー完全無視だな…」
「いいじゃない。寝てるし」
「でもさっき、俺らも視界に入ってないっぽかったぜ?」
「尚更いいじゃない」
「そうやで、二人の世界☆彡やで」
「侑士きめぇ」
「ひどっ!!」

外でそんな会話が繰り広げられているとも知らず、跡部は落ち着かない様子で樺地を振り向いた。
「な、なあ樺地っ」
「ウス?」
「…こ、これ」
そう言って、跡部が鞄からある物を取り出す。

「何だ?あれ」
「服…ですか」
首を傾げる向日と鳳に、と忍足は あ、と声を上げた。
「…あれや」
「あれね」
「黒いな。メイドの方か」
「部室で繰り広げられる主従逆転劇…!!誰も知らない昼とは真逆の二人「いやーーーー!!!」
「うるさい眼鏡」
忍足の眼鏡は空高く放り投げられた。

「何なんだ?」
落下してきた眼鏡に目頭を攻撃されのた打ち回る忍足を横目に、宍戸が訊ねる。
「メイド服よ。樺地君が跡部に買ってあげたの」
「はぁ!?何でよりによってそんなもん…」
「あ、そうだ。忘れてた。ししろ、これあげる」
は鞄の中からある物を取り出し、満面の笑みを添えて宍戸に差し出した。
それを見た宍戸の眉根に皺が寄る。
「…鼻…眼鏡…?」
「着信拒否してくれたお礼よ」
「っ!いや、それは…だな…!」
「着けてくれるよね?答えは聞いてない」
「…はい…」
新会員達の哀れみの視線を一身に受け、宍戸は鼻眼鏡を装着した。


画面の向こうの跡部はメイド服を手に奇妙な動きをしながら樺地に話し掛ける。
「き…着てみようかと思ってな!」
「ウス」
「う、後ろ向いてろ」
「ウス」
樺地は言われた通りにくるりと向きを変え、直立のままぴたりと止まった。

そんな二人を眺め、宍戸がぽつりと言葉を洩らす。
「…なんだこの光景…」
「ほんまにな…」
「…俺はそれをこうして盗聴してる姿こそ妙だと思いますが」
溜め息をつく日吉に、が相槌をうつ。
「鼻眼鏡してる奴も居ることだしね」
「くっ……!」
ぎりりと唇を噛み締める宍戸だが、その顔には鼻眼鏡が装着されている。格好などつくはずがない。
「大丈夫です!激ダサな宍戸さんも格好いいです!!」
「何だその矛盾!!」
「お前が矛盾という言葉を知っていたとは意外だな。私は嬉しいぞ」
「…はぁ…」
行ってよしのポーズでこめかみを押さえ涙を堪える榊に、宍戸は自分の学力の低さが音楽教師にまで伝わっているという悲しい現状を改めて痛感したのだった。


跡部は壁に向かい、いそいそと着替え始める。
当然ながらワンピースなど着たことがないのだろう、上から着るか下から着るか迷っているようである。

「ちゅーかさん。男子の着替え堂々と覗くんはどうかと思うで」
「いいじゃない。資料よ資料」
「何のですか」
「ん?ぴよし君興味あるの?じゃあ今度の新刊手伝っ「やめろ!!やめてやれ!!若も首突っ込むな!!後悔すんぞ!!」
「はあ…それはどうも」
「チッ」
に舌打ちされる宍戸を眺めながら、向日が呟く。
「…後輩守るいい先輩っぽいけど、鼻眼鏡じゃなー」
「ほんまやなぁ」
「ほっとけ!!」


結局、服が床につかないようにとの結論に達したのか、跡部は上からワンピースをかぶり始めた。
その時。

ビリィ

「…………」
「…………」
画面内と画面外に、同じ沈黙が流れた。

「今…すっげー嫌な音したよな」
「しましたね」
「そうよ…忘れてた、あいつ175cm62kgだったわ…」


「……あの、跡部さん」
おずおずと話し掛ける樺地の声に、腕を上げワンピースに顔を覆われた間抜けな姿のまま硬直していた跡部が我に返る。
「あっ、あ、あぁ、えーっとな!や、やっぱり気が変わった!!また今度にしよう!な!!」
頭にメイド服を被ったまま、跡部は慌てふためき必死に手を振る。絶妙な黒と白のコントラストがショッカーみたいやな、と忍足は思った。
「…跡部さん、…その、破れた、んでは?」
「な!!いや、そんな馬鹿なことあるわけねーだろ!」
「いえ…無理、しないで…下、さい」
「樺地……」
樺地の優しさに触れ、跡部の声に涙が混じる。見た目はショッカーだが。
「…振り返って、いい…ですか?」
「ん!?あ、あ、ちょっと待て、とりあえず脱ぐ」
ショッカーではまずいと気付き、黒い塊に頭を覆われた跡部がもごもごと動き始めた。
その時。

ビリィ

「…………」
「…………」
再びの沈黙。

「……あの…跡部さん、本当に…無理、しないで…下さい」
「…ああ」
自力での脱出を諦めた跡部は、素直に万歳の姿勢で樺地に服を脱がせてもらった。
恥ずかしさと照れ臭さと、樺地に服を脱がせてもらっているという事実により少しばかり鼻から血が流れたようであったが。
その姿を片手に携帯、片手にデジカメで撮りまくっている女子が居るなどと、二人が知る由もない。
「…ごめんな樺地」
がっくりと肩を落とす跡部に、樺地は首を振る。
「いえ…自分こそ、気付けなくて…すみま、せん」

「俺らも気付かんかったな」
「全くね」
「岳人なら余裕で着れるんじゃねーの?」
次の瞬間、空におかっぱの影が舞い、けらけらと笑う宍戸の額と鼻眼鏡が割れた。


「折角お前がくれたのにな…」
「…もし、良かったら…改造して、何か、使えるように…します」
「ほ、本当か!?」
「ウス」
さすが樺地!!と黒い塊を樺地に預け、跡部は制服姿に戻った。

「…じゃあ…帰るか」
「ウス。…あ、芥川、先輩は」
「ああ…とりあえず部室の外に出しとけ」
樺地に肩を揺すられ声を掛けられてもぴくりともしないジローは、抱え上げられ部室の脇にそっと安置された。

「何気に酷いな」
「まあ…夏だし風邪もひかねーだろうけどさ」
樺地が戸締まりをし、二人の後ろ姿が小さくなったのを確認してから、達は木陰から姿を現わした。
「よし、追うわよ」
「あ、ちょっと待て。ジロー回収してやろうぜ」
「そうやな。さすがに野ざらしは可哀相や」
「じゃ侑士、頑張って担げよ!」
「俺!!?」
芥川とその荷物、そして自分の荷物を担ぎ唸る忍足に、更に荷物を持たせようとする向日と宍戸。
その姿に溜め息をつきながら、日吉はに話し掛ける。
「あの」
「なに?ぴよし」
「日吉です。いつもこんなことやってるんですか」
「そうね。…あとは布教活動かしら」
「布教って、あれはほぼ脅しじゃないですか!」
「失礼な。本やゲーム、色々手広くやってるわよ?」
「本…?」
「あー!!だから首突っ込むなって言ってるだろ若!!」

「布教…って、要は仲間増やせばいいんだろ?」
達の会話を聞いた向日が忍足に訊ねる。
「まあそうやな」
「よーし、おいジロー!お前、樺地と跡部応援しねーか?」
向日はぴょんと跳ね、忍足の背で眠り続ける芥川の耳元で叫ぶ。

「んー…する……おれ…かばじも……あとべも……だいすき…だ…C……」

「…………」
「…………」
「…グッジョブみそっ子!!」
「え!?ありなん!?これ!?」



翌日、会員No.7が授業中に発した「かばじが……あとべの…めいどふく……やぶって…ぬがし……」という寝言が、学園中を震撼させるというのはまた別のお話。
















色々と酷い。次回はあの人を…!!

2008.12.14