樺地がおかしい。
即ちそれは
跡部がおかしいということをも意味する。


樺地がおかしい。
遡ること三日前。
俺様はいつものように清々しい朝を迎えていた。
しかし。
いつも必ず同じ時間に来るはずのあいつが、来ないのだ。
だが、俺様跡部景吾はいつだって冷静沈着である。
…寝坊か?たまのことだしな、俺様は寛大だから許してやらないこともない。
と、のんびり紅茶を啜っていた。

…だが、いつまで経っても来ないのだ。いつまで経っても。
爺やが「もう出発されませんと、坊っちゃま」と急かしに来ても来ないのだ。
…電話するか?
いや、どうして俺様が電話しなくちゃならねーんだ!!それじゃまるで俺様が迎えを待ってるみたいじゃねえか!!
俺様はあいつが迎えに来たいって言うから渋々相手してやってるだけで…それをあいつ…!!
そう考えると居ても立ってもいられなくなり、説教をするために勢い良く受話器を取り あいつの番号を叩き押してやった。
ったく、毎度毎度俺様に手間掛けさせやがって!お陰で番号暗記しちまったじゃねーかよアーン!!?俺様の優秀な頭脳には造作もねえことだがな!!
数回呼び出し音が響いた後、ようやくあいつが電話に出た。何故すぐ取らねえ…!ふざけやがって!!
「おい樺地!!何してやがる!!」
「ウス」

プツッ。
…ツー、ツー、ツー…

……?
………??
俺様は耳を疑った。

…切られた?切りやがった?樺地が?俺様からの電話を?
……いやいや、事故かもしれねえしな!!そんな馬鹿なこと……
……事故ならどうしてすぐに掛け直して来ない?…ああそうか、俺様に怒られるのが恐ぇんだな。今ならまだ許してやるぜ?
……今なら…まだ……
…………。

──掴んだ電話に何度番号を叩き込んでも、その後あいつが電話を取ることはなかった。



結局その日は遅刻寸前のところで教室に駆け込む羽目となり、授業に身が入るはずもなかった。
そして一時間目が終わると同時に、俺様は二年の教室へ向かった。
「樺地!てめえ、今朝何してやがった!!」
「ウス」
この俺様がわざわざ教室まで来て問うてやったというのに、樺地はそうとだけ答えるとそれきり黙ってしまった。
「…ふざけてんのか?お前」
「……」
小さな目はこちらを見もせず、分厚い唇は閉じられたまま動こうとしない。
この麗しき俺様が!目の前で直々に語り掛けてやっているというのに…少しは周りのメス猫共を見習ったらどうなんだ!!

「樺地」
「…ウス」
「答えろ」
「…嫌、です」
温厚で寛大な俺様も、さすがに堪忍袋の緒が切れた。
「…そうか、お前がそのつもりなら勝手にしやがれ!!」
バンと扉を閉める寸前、「ウス」という冷たい返事が耳に響いた。



それからというもの、樺地の様子はずっとおかしいままなのだ。
「おい樺地」
「…ウス」
「暑ぃ」
俺様がこう一声発すれば、ウス、と返事するや否や命じてもいないのに俺様のジャージを脱がせてアイスノンとパラソルとドリンクを持って来て団扇で扇いでいたのに
「……そうですか」
今じゃ、ぴくりとも動かねぇ。
今回は黙りじゃなかっただけ、まだましだが。
「…樺地、団扇」
「……」
こんな調子だ。
話し掛けると「ウス」とは言うが、命じたことは何一つ遂行しない。
今まで鞄を差し出す前から勝手に延びてきた腕は、全く動こうとしない。
そして、俺様の後ろをついて来なくなった。

…別にあんなでかい奴、後ろに居ても邪魔なだけなんだがな。強いて言えば風避けが無くなっちまったってところか。
……俺様、見限られるような失態を犯したか?…いや、俺様は変わらず毎日輝いている。あいつが従うに相応しい、いや、従えてなお余りある輝きぶりだ。
なのにどうして……
…ったく、何故俺様が悩まなきゃならねえ!!悪いのはあいつだろうが!!
――石を蹴り歩く背中には風が吹き付け、鞄の重みがずしりと掛かった。

「跡部ー、随分苛々しとんなウぶァッ
振り返るとそこには忍足が立っていた。口元に湛えたにたりとした笑みが腹立たしかったので、とりあえず眼鏡を割っておいた。
「何すんねん!!」
「黙れ。あとレギュラー落ちろ」
「何その脈絡のない八つ当り!!」
こいつは身長はあるが、いかんせん頼りない。到底風避けにはなりそうもない。駄目だ駄目だ。
「うるせえっつってんだ、どっか行きやがれ」
「…あかんなぁ、樺ちゃんが反抗的やか「アアアアァァァアン!!?あいつに何の関係がある!!!」
「……うん、そないに気になるんやったら本人に訊いたらええやん」
「アーン!?別に気になんかなってねえ!!この節穴が!!その役に立たねぇ眼鏡かち割るぞ!!!」
「酷いなぁ…ちゅーかたった今、お前に割られたとこやで?…まあええわ、ほな」
だらしなく片手を上げて、忍足は岳人と慈郎の方へと歩いて行った。
岳人…慈郎…。…二人とも奔放だからな…俺様の従者には相応しくないな。


振り返れば、少し離れたところにあいつが居た。隣には鳳と日吉。
鳳も身長と力はあるが、いまひとつ気が利かねえ。日吉は下克上にしか興味ねえようだしな。
「訊いてみたら…か」
癪に触るが、俺様に対する数々の無礼をがつんと言ってやらなきゃならねえのは確かだ。
「おい、樺地」
少し大きめの声を出して呼ぶと、樺地はちらりとこちらを見──返事をすることなく、また視線を戻した。

──何だ、あいつ

そう思ったのが先か、気が付けば俺の右手は固く握られ、そのまま樺地の頬目がけ振り下ろされていた。
全体重を掛けたというのに少しふらついただけのそいつに更に苛立ち、力一杯に胸元をどつく。
辺りの空気が凍り付いた。鳳が目を丸くしている姿が視界の端に映っている。
何か叫ぼうにも言葉がまとまらない。頭に血が昇っているのが自分で分かる。
長い年月の中、こいつを殴ったのは初めてだ。
殴ればさすがのこいつも怒るのか?それともいつものように顔色ひとつ変えずに居るのだろうか。
いつ殴り返されてもいいように全身に力を込め、精一杯きつく睨み上げてみれば、…その顔は。

何故か微笑んでいた。

「お…前、何、笑ってやがる!!」
マゾか!?お前は、諏訪部が言う通りマゾヒストだったのか!!?まだまだ俺様の知らない樺地がいるってことなのか!!?
「ウス。…すみません、でした」
その謝辞は一体何に掛かっているんだ…、今俺様が何笑ってるっつったからか?
いや、だが、それにしては…今も笑ったままなのがおかしい。
「鞄、持ち…ます」
「あ、ああ?」
促されるまま鞄を差し出してしまった。

「お前、何なんだ!!」
「すみません」
「な、何がだ!」
「…疑って……です」
「疑う!?何をだ!!」
「…ウス」
「ウスじゃねえ!!答えやがれ!!」
「…嫌、です」
三日前と同じ答え。
だが、纏う雰囲気はあの時とは全く違う。
薄く微笑んだ表情は本当に幸せそうで──
…ああ、だが、別に俺様は幸せ感じたりなんか全然全くしてないんだぜ?ほっとしたりなんかするわけねぇだろうが!!バーカ!!
ただちょっと、斜め後ろから吹き付ける風が直に当たらなくていいとか肩が軽くて楽だとは思ったがな。少ーーしだけだけどな!!


風が避けられるでかい身体だとか、
重たい荷物を軽々と運ぶ腕力だとか、
文句一つ洩らさず従う忠誠心だとか、
全てに目を配り動く気遣いだとか、
それらも勿論なんだが、それだけじゃなく。
後ろに居るのは多分、こいつじゃなきゃ駄目なんだ。 代わりなんざどこにも居ねえ。
…なんて
全ッ然思ってないがな!!全く思ってないぜ!!
だ、だが、まあ?他の奴は試す気にも任せる気にもならなかったのは、認めてやらないでもないがな!!
ちらと後ろを振り返ってみれば、小さな瞳がきょろりと動きこちらを見据える。
何だったんだ、とわざとらしく唇を歪めると、その瞳は困ったように苦く笑った。



樺地がおかしい。
即ちそれは
跡部がおかしいということをも意味する。

何故なら彼らは一心同体、
それを片側が疑おうものなら、
その揺らぎは必ず、もう片側に響いてしまうのだ。



「…いや、よくよく考えたらいつもがおかしいんじゃねーの?」
「俺ら、感覚麻痺してきてんのかもな」
「確かによー考えたらあいつらおかしいねん。見た目からしておかしいねん」
「一緒に帰ってるの見てほっとするって、危ないんでしょうか」
「…と言うか、さっきの騒ぎのフォロー一つなく帰って行くのも逆に凄いですね」
と、周りの人々は言うのだが。
















13000HITでリクエストを頂きました、「跡部に冷たい(ように見えるor見えた)樺地」です。
シリアスな話へ猛ダッシュしそうだったので、跡部のツン度を過剰に上げて中和してみました。
結果→跡部がアホの子に。…ん?あれ?いつもか?

2008.8.12