「樺地、誕生日空いてる?パーティーやろうよ!」
樺地の誕生日の三週間ほど前、部活が終わった後に鳳が樺地に尋ねた。
「跡部のことだからどうせ余裕こいてギリギリに約束入れんだろ」「まだ三週間もあるぜ、約束取り付ければこっちのもんだって!」という宍戸、向日の言葉を背に受けて。

いつもならその隣に居て、本人の意見も聞かずに「駄目だ駄目だ!!」と突っぱねるはずの部長は丁度監督と話していて居ない。
いつも跡部ばかり樺地を占領するのは納得がいかない、俺達だって樺地を祝いたい!という、ちょっと趣旨が変わりつつある、それでもやはり日頃から樺地に世話になっている彼らなりの感謝の気持ちの表れであった。
樺地のことだから、予定さえ無ければきっと断ったりはしない。
そして先に入った予定を優先させるはずだ。
──たとえ、後からの誘いが跡部のものだったとしても。
もっとも跡部も一緒にパーティーに来たり、パーティーの後に跡部と会うということもあるだろうと想定はしている。
けれど一日二人きりで過ごしたいと考えているのであろう、憎き樺地独り占め大王跡部を悔しがらせるにはそれで十分だった。

だが。
「あ…その日は、跡部さんと…約束が」
「なんやて!!?」
「マジでー…」
「やるねー…」
うなだれる忍足と芥川、そして滝。日吉も小さく舌打ちをした。
「すみません…」
「残念だなあ…」
「いつ約束したんだよ!くそくそ跡部!!」
「ほんまやわ…いつなん?樺地」
「…跡部さんの、お誕生日…に…」
その言葉を聞いた皆は一瞬静まり、その後渋々了承したような溜め息が広がった。
「今年、跡部の誕生日もパーティーなかったCー」
ぶーと膨れる芥川の頬を潰しながら宍戸が頷く。
「あー、そうだったよな………ん?」
滝を除く全員がまさか、という顔に変わる。
「…なあ…樺地?跡部の誕生日…もしかして放課後、跡部と一緒に居たり…したか?」
恐る恐る訊く宍戸に、樺地は僅かに目を見開き、暫し逡巡した後ゆっくりと口を開いた。
「…それは…言え…ません」
ああ居たんだな。
という文字が、滝以外全員の顔面に書かれた。

「…そういや、跡部の誕生日っつーと…俺、何でか放課後跡部に絞められた後数日のこと覚えてねーんだよなぁ。人に訊いてもなんか目逸らされるし」
向日のその言葉を聞いて、忍足と滝を除く全員の肩がびくりと震えた。







そして時は移り新年を迎え、樺地の誕生日。
ごく普通の住宅街を走り回る高級車。
これまたごく普通の一軒家の前で停まったその車から颯爽と降りてきたのはやはり跡部景吾だった。

トリートメントばっちり、風になびく髪。
美容液をこれでもかと染み込ませた一層滑らかな肌。
育毛剤で大事に育てた長い睫毛。
クリームだけでなくパックまでしてきた艶やかな唇。
程よい色気を醸し出す、少し首元の開いた服。
そしてきつい匂いが苦手な樺地が、ただ一度だけ自分から誉めてきた香水を一振り。
今日の跡部景吾は完璧に近かった。
ただ惜しむらくは、今日を楽しみにするあまり寝不足で薄らと隈が浮いてしまったことだ。

今日はどんな所へでも行けるようにカードもしっかりと持って来た。
勿論、庶民の店でいいと樺地が可愛らしく謙遜した時のための現金も。
期待に胸膨らます跡部が長い指でチャイムを押すと、すぐに目的の人物が扉を開けた。
「どうぞ…上がって下さい」
ぺこりと頭を下げる樺地に通され、跡部は家の中へ入った。


「なあ樺地、行きたい所あるか?どこでも連れてってやるぜ」
樺地の部屋でお茶とお菓子をつまみながら、跡部はわくわくと尋ねる。
しかし。
「…いえ…特にない、です」
「誕生日だろ、遠慮すんな」
「……ない…です」
「飯食べに行きたい店とかねえのかよ」
「いえ……。昼は自分が何か、作ります」
「お前なあ…誕生日くらい休んで贅沢しやがれ!!」
誕生日でもないのにほとんどのことを樺地にやらせて贅沢している人間が言える台詞ではない。

「…家で…のんびり、休みたい…です」
駄目ですかと小さく首を傾げられ、ついに跡部が折れた。
「ったく…つまんねー奴だな!」
首を傾げた樺地の可愛さにやられた跡部は口を尖らせ、机の上にあった雑誌を引っ掴んで勝手にベッドに転がった。
「これこの間読んだやつじゃねーかよ!何かねーのか!」
跡部はそう叫びながら、ばさばさとめくった雑誌を樺地に投げ付ける。
「…鳳に…借りた本、なら」
くそ、あのノーコンめ勝手に樺地に本なんざ貸しやがって!俺様の暇を潰したことだけは褒めてやるがな…!
と一方的に恨むことの方が勝手だということに跡部は気付かない。
鳳の物だというその本は、日本の文学作品だった。
西洋かぶれのくせに日本文学かよ、と毒づく跡部自身が一番西洋にかぶれている。

「面白いのか?これ」
「ウス。まだ、半分くらいしか…読んでないです、けど」
そう言われて本の中程までページを捲ると途中に栞が挟んであった。
押し花の。
もう一言言うなら、小さい頃に跡部と二人で作った。
「…まだ使ってんのかよ、これ」
押し花と言えど月日の流れには負け、すっかり茶色くなってしまっているパンジーとすみれ。
「ウス」
跡部さんはやっぱりもう使っていないのか、残念だな、という色が樺地の目に滲む。
それを読み取ったのか、跡部は再び口を開いた。
「俺様は…一度も使ったことないぜ、こんな栞」

…まさか、そんな。
樺地の小さな瞳が僅かに揺れ、次いで潤む。
「……飾ってあるからな、ずっと」
跡部はそう呟くと、ぷいと視線を本に落とした。
「…ウス」
跡部の顔は髪で隠れて見えなくなったが、耳が少し赤いのを見た樺地はほっと微笑んで応えた。


跡部が程よい厚さのその本の三分の一を読み終えた頃、時刻は昼近くなり、樺地は昼食を作るため台所へと立った。
何を作ろう。せっかく跡部さんが来てくれたし、誕生日だし、少し豪華にしたいけど、それは晩でいいかな。
跡部さんに食べたい物ありますかって訊いたら、何でもいいって言ってたし。
そう考えた樺地は、昼は簡単にオムライスを作ることにした。

しっかり副菜も作って来た樺地がお盆を片手に部屋へ戻ると、跡部はいつの間にか眠ってしまっていた。
読みかけの本を枕に、開いているのは丁度樺地が読み掛けの、栞の挟まったそのページ。

どうしよう、起こそうか。
せっかく作ったオムライスが冷めるとか、本に開き癖がついてしまうとか、樺地は色々考えたが、結局起こさないという結論に至った。
オムライスはラップを掛けて置いておこう。材料はまだあるから、不味いと言われたらまた作り直せばいい。
本もいざとなれば新しいのを買って返そう。ごめん、鳳。

跡部さんは変な奴だとかつまらない奴だって言うけど、こうして二人でのんびり過ごすのが幸せで。
それに、今日の跡部さんは何だかすごく綺麗だ。勿論、いつも綺麗なんだけど。
だから正直に言えば、あんまり他の人に見せたくない。
これが何よりの我儘、何よりの贅沢。
何よりの誕生日プレゼント。
そのことを、きっと跡部さんは知らない。


気合いを入れてトリートメントした髪を樺地が優しく撫でたことも、
美容液をたっぷり含ませた肌を樺地が軽くつついたことも、
頑張って育てた長い睫毛を樺地がじっと見つめていたことも、
パックをした唇を樺地がそっとなぞったことも、
首元の開いた服の上から樺地がゆっくり布団を掛けたことも、
軽く振った香水を樺地がいい匂いだなあと思ったことも、

跡部は知らない。
















樺地は布団でもベッドでもいいなー。

2008.1.3